さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

127 月がまぶしすぎて…。

 みなさん、こんにちは。

 

 夜道も月明かりで安心して歩けます。

 昨夜は月齢14.9でほぼ満月でしたので、いやぁ、明るい明るい!

 周りに見えるはずの星なんか全部消されてしまい、夜空に雲の輪郭がはっきり見て取れるくらいの明るさでした。月自体も自ら光を放っているような輝きでしたね。月明かりの下で夜襲をかけてもうまくいかないっていう話も納得です。鉄アレイウォーキングをしていた私の影もできちゃうくらいですからね。

f:id:sarukichitail:20201201140856j:plain

 でも、なんか、月がまぶしすぎて…。

 なんて言ったらいいか、月って昔から風流風雅なものっていう印象があったんですが、ここまで煌々としていると、聊か興ざめなんですよね。だって本当にまぶしいんですから。あ、私の目がおかしいのでしょうか。どっちにしても、何となくうすい雲がかかってぼんやりと夜空に浮かんでいる月が私は好きですし、そういうのを「お月さん」と呼んでみるのも味わいがあって良いような気がしています。

 太陽と違って、月はいろんな形で見えますよね。まんまるだったり所謂三日月型だったりしますね。これらの形はそれぞれ味わいがありますが、まんまるになるにはあと1割くらい足りない時とか、妙に太い三日月型っていうのは逆に夜空の景観を台無しにしかねません。これは本やTVなど様々な媒体から得られたイメージがあり、そのとおりの形の時は頭の中のイメージと一致しますのでより美しく感じ、そうでない時はそもそも一致しないものですから、認めたくないと思っちゃうのかもしれませんね。中途半端な形の月って、汚いとかいうんじゃなくて違和感満点みたいな感じです。

 月って稀に日中でも見えることがありますが、基本的に夜空を舞台に活躍します。満月の時、東の空に浮かび上がった月の異常な大きさにびっくりしたことはありませんか?私は天変地異の前触れではないかと思い、怖い怖い!していましたが、これはスーパームーンっていう現象みたいですね。でも、大きいうえにちょっと赤みがかかっていて、いかにも何かの前触れっぽいオーラをガンガン出していましたからね。まぁ、ちょっとばかし距離が近くなったかららしいんですが、結局さっきのお話と同じで自分の中の月のイメージと違うという違和感から不気味さや恐怖を感じてしまうんでしょうね。ただ、これって私の印象ですから、逆にスーパームーン大好きな人もきっと数多くいらっしゃることでしょう。

f:id:sarukichitail:20201201140804p:plain

 それにしてもこちらの心の奥底まで見透かしてしまいそうな月明かりを、昨夜の私は少し持て余し気味になり、そのうち照らされることが苦痛になってきました。次第に私の中の老盗気分が盛り上がり、ついにはサッと物陰に隠れたりし始めました。鉄アレイを持った人間が、建物の影に隠れたりしながら、コソコソと進んでいくのですから間違いなく変質者です。どうも池波正太郎を愛読するといけません。どうしてか知りませんが、主人公ではなく、最後は斬られてしまう盗賊につよく引き付けられてしまいます。これって私が盗み願望があるからなんでしょうか?う~ん、なんか違いますね。たぶん、追われる身でありながら、捕吏の手をギリギリのところで躱し逃げ延びる姿に憧れを抱いているのでしょう。片時も油断することなく、神経をすり減らしながら、それでも生に執着する老盗はインモラルな香りがスパイスになって、異様な魅力に包まれています。

 まぁ、いいんですけどね。

 しばらくそれをしていたんですが、疲れてきたしバカバカしくなったので、私の老盗ごっこは10分くらいで終わっちゃいました。10分もそんなことをやっていたこと自体バカですが、その後は「なんか今日は鉄アレイが重いなぁ」なんて思いながらトボトボ歩いて帰りました。

 月明かりの眩しさに自分を見失ってしまったことは、かえすがえすも恥ずかしいことですが、おかげでちょっと考えちゃいました。

f:id:sarukichitail:20201201140659p:plain

 お月見ていう文化がありますね。

 あれって、ただ月を見ることではなくって、月に照らされた風景を楽しむものじゃないでしょうか。あ、今さら、ですかね。

 空気が澄んでくるので、余計に月の光が強く感じられる秋、外気のなかでもしばらくは寒さを感じない秋、お月見にはもってこいですよね。そこでただ光り輝く月をみていても、長くは持ちませんが、お酒を飲み、肴をつつき、物思いに更けってみたり、気の合う仲間との会話を楽しんだり、恋人と睦まじい時間を過ごしてみたりと、いろいろなことをすることで人は楽しんできたんでしょうね。今のように照明のない時代の夜は真っ暗な世界でしたので、月明かりの夜は数少ない活動的な夜でもあったのでしょう。

 私は月明かりの下でも妙な気分にはなりません。せいぜい老盗ごっこに耽るくらいですが、世の中には月明かりに照らされると妙な気分になっちゃう人もいるでしょう。それを否定などしませんが、ほどほどになさいますように。

 また、月明かりは手元や足下は問題なく見えるものの、文字などを読むのにはちょっと無理があります。読めないことはないんでしょうけど、目が悪くなっちゃいます。それよりも、月明かりは昨今の4K8Kテレビに見られるような高精細な映像の真逆の世界を提供してくれるような気がします。つまり低精細な世界。いろいろなものがはっきり見えない世界です。そこに話し相手がいるのははっきりしていますし、相手の目がどこに向けられているのかもわかります。しかし、薄暗さにくわえて、光があたっていないところは真っ暗ですから、余計なものが目に入ってきません。

 好意を寄せる相手であれば、一層相手の良さや美しさに魅了されること間違いなしですし、無関係な刺激がないので、お互い相手に集中できます。あ、それで妙な気分になる人が多いのかもしれないですね。

 別に山や森に分け入る必要などなく、お庭や車の脇でテーブルを置き、その上に料理が見えるようにランタンだけ。それ以外は月明かりで賄っちゃうようなお食事こそ、昔からある実に風流なアウトドア月見なんでしょうね。風のない日なら海辺でやってみると、静かな波の音も雰囲気を盛り上げてくれます。田舎の海辺は証明が少ないので星もきれいですしね。

 昨夜、あんまり月がまぶしかったので、こんなお話をしてみましたが、月についてはいろいろと思うことやくだらないエピソードもありますので、またお話すると思います。

 ちなみにネットで三浦康子さんの「月の名前・呼び名…満ち欠けや月齢で付けられた風流な呼び方」っていうブログ?を読むと簡単で分かりやすいですよ。月に対して科学的なアプローチも楽しいんですが、文化的なアプローチもまた楽しいものです。

f:id:sarukichitail:20201201141001p:plain

 十六夜って…、そういえば昔河合奈保子さんの「十六夜物語」って曲がありましたね。うんうん、あれは良かった。あ、「ハーフムーン・セレナーデ」っていう曲もありました。うんうん、あれも良かった。河合奈保子さんって月が好きなんでしょうか?

 私は河合奈保子さんが好きでしたけど。