みなさん、こんにちは。
おかげ様で夜の鉄アレイウォーキングの所要時間が3日連続で45分を切りました。
何のことかと言いますと、毎晩鉄アレイ(片手2㎏)を持って歩いているのですが、だいたい50分~1時間かかっていました。それはそれで別に気にもしていませんでしたが、このところやけに足の運びが滑らかになってきたので、もしかして?と時間を計ってみると45分かかっていないことがわかりました。1週間前は55分くらいかかっていたので、結構うれしかったですよ。
この調子で40分も切るようになったら、コースを延長するなり変更するなりして調整しないといけませんね。なかなか楽しくなってきました。あ、でも体重には何ら変化はございません。おかしいですね。
今の時期、夜であっても45分くらい歩くと(速足で)、かなり汗をかきます。顔は汗まみれで、あごからぼたぼたと汗が落ちていきます。歩き終わったころにはTシャツは全部濡れた状態になっています。街灯や店舗の明かりが私を照らしたときに、すれ違う人が何気なく距離をとりたくなる程度に気持ち悪い感じで汗をかいています。
でも、あまりのどが渇きません。
普通、これだけ汗をかくとのどが渇いて渇いて、どうにもならなくなっているはずですが、別に平気です。
歩き終わり帰宅して、とりあえずスポーツドリンクをコップに1杯、…半分くらいでいいや!となります。体がおかしくなってしまったのでしょうか?
私はどちらかというと、水分をとるほうだと思っています。夏場、昼食をとる時は1Lくらい平気で水やお茶を飲みます。それは今も変わりません。仕事中、作業をしている時はすぐのどが渇くので頻繁にお茶を飲みます。うん、いたって健康的です。
でも、鉄アレイウォーキングの後はあまりのどが渇きません。
直射日光に当たってないからでしょうか?
鉄アレイウォーキングから帰宅後、風呂に入って、まったりしていると少しずつ水分を取り始めます。
気が付くと、1L以上飲んでいるようです。
ですから、別に健康上問題があるとは思っていません。不思議に感じているのは、汗をたくさん掻いた直後に体があまり水分を求めていないことです。
これまでこんなことはなかったですし、現に日中仕事や釣りをしている時は頻繁にのどが渇きます。
ひょっとして、あの程度の汗の量ではびくともしないように、私の体がグレードアップしたのだろうか?とも考えましたが、不毛な気分になったのでやめました。
私は中学・高校の間、野球部にいました。
当時は今のように「水を飲め!」などと言ってくれる人などいない時代でした。
隠れて水を飲んでいたことが監督さんにばれてしまい、共犯者とともにグローブでひっぱたかれる刑を受けたこともありました。いやぁ、懐かしいですね。
たぶん、当時の風土として、練習中は水を我慢することで精神力が鍛えられる、という考えがあったのでしょう。我慢させられるほうにしてみれば、たまったものではありません。平日(夕方)の練習の時はそもそも休憩などありませんし、1日練習の時も水が飲めるのは昼休憩の時だけでした。あ、高校2年の夏休みの練習の頃、午後1回だけ休憩するようになりましたね。あれには驚きました。
高校時代の夏休みの練習は本当に地獄にいるような気分になったものです。午前中練習の開始前にたらふく水を飲んでいても、アップの段階で早くものどが渇き、キャッチボールやフリーバッティングは減量中のボクサーのような状態でやっていました。昼休憩の時にもう一度たらふく水分を貯蔵しておきます。午後はトレーニングルームでのウェイトトレーニングからスタートしますが、冷房など効いていない部屋に暑苦しい野球部員数十人がほぼ無表情でベンチプレスなどをやっています。当然滝のような汗が出て、その後グランドに戻るころには「水が飲みたい~」状態になっています。このウェイトトレーニングを午後のスタートに持ってきたのは、一番暑い時間は回避してやろうという監督さんの慈悲だったのだろうと思いますが、当時はそんなことを考える余裕もありません。干物のような状態でグランドに戻ってシートノック、シートバッティングまたはフォーメーション練習(これはちょっと楽)の後、必殺のベースランニング、さらにとどめのロングジョグ(監督さんの気分で30分~60分)。毎日練習が終わった後、水を飲んで落ち着くまでみんな話をするのも煩わしいようでした。本当に抜け殻のようになります。でも、若さでしょうか、10分~20分くらい経つと、バカ話を始めます。
あの頃は、今ほど暑くなかったとはいえ、30度は軽く超えていましたし、なぜが雲も風も必要な時に現れてくれませんでした。
今思い出しても吐き気がしてきますが、よくあんなことを毎日やっていたものだと感心してしまいます。さらに感心するのは、私が現役の頃、倒れたり、病院に運ばれたりした者がいなかったことです。まぁ、野球の技術とは別に、中学校の頃から、水を我慢する訓練だけはみんなしてきたからかもしれません。
あ、念のために申し上げますが、水を我慢することが良いことだとは思っていません。全く思っていません。あんな思いはさせたくありません。なにしろ、便器の中の水ですらこの世のものとは思えないくらい魅惑的な飲み物と思うほどですから。飲みませんでしたけど。
社会人になってからは、別に水を我慢などしなくてよくなったのですが、そしたら反動のようにがぶがぶ水を飲むようになりました。ですから余計に思うのです。あの我慢は何のためのものだったのかと。おそらく、試合の中で精神的にきつくなった時、自分たちはあれだけしんどい練習をしてきたのだから大丈夫、と思えるようにするためだったのでしょう。他に、特に何かご利益があったようには思えません。一旦我慢しなくても良いとなったら、全く我慢などしなくなりましたから。現場にいるとき、自分の飲み物が無くなったら、職人さんのお茶にまで手を出して、昼に弁償させられたりしていたくらいですし。
近年、水を我慢するのは悪習であるとのことで、子供達には定期的に「水分を摂らせるようにしている」とのことですね。良いことだと思います。ただ、あの頃の私達がそうした待遇を受けていたら、常にお腹がタプタプの状態で練習をしていたことでしょう。
私はこういうふうに水分を摂ることに対してきわめて貪欲な人間です。
それ故に、鉄アレイウォーキングの後の水分を欲しがらない自分に違和感を感じるのです。
うん?今気が付いたのですが、鉄アレイウォーキングは夕食の後で行います。
その際、やっぱり季節柄たくさんお茶を飲みます。
そのせいでしょうか?