さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

218 私が差し出したわけではないですけどね。

 みなさん、こんにちは。

 

 テニスの全豪オープンが始まりました。

 私はwowowでみているんですが、こうしたスポーツイベントが行われると、とっても嬉しくなります。観客の制限があるのか、満員ではありませんが、大きな声を出したり、マスクをしなかったりしてますね。コロナを封じ込めているからできるらしいんですが、なんだか不思議な光景に思えるようになっています。

 それだけ、無観客試合が長く続いてきたからでしょうね。

 それと、もう一つ以前と違うところがあります。

 線審(ラインジャッジ)がいません。in、outの判定は機械で行うようです。ですから、選手の背景にはボールパーソンがいるだけで、スッキリしています。見ようによっては選手のプレイに集中できますし、選手も同様でしょう。さらに、最近は他のスポーツでもそうですが、チャレンジ制度(判定を機械やビデオ映像等で再確認する制度)が発達してきましたから、より正確な判定が期待できるのかもしれませんね。

 …でもなぁ!なんですよね。なんか寂しいというか、だんだん合理的なるなぁというか、要するに人間から機械に判断されるようになっていくんだなぁ、って感じです。

 まぁ、別に文句はないんですよ。正確な方がいいに決まってますからね。

 スポーツの判定なら、私も理解できます。

 でも、店内や町中いたるところにある防犯(監視)カメラはどうなんでしょう?確かに犯罪があったとなると、非常に役に立ちます。これがなかったころは目撃者っていうのが大事でしたが、この目撃者って言葉はあまり聞かなくなりました。ちなみに顔を映すと誰なのかわかるシステムって何のためにあるんでしょうね?

 車にも、事故をしたり、危険な運転をされたり、嫌がらせをされたことを克明に記録できるようカメラを搭載するようになってきました。自分のスマホも使って撮影する人もいますね。事故原因がはっきりわかることや、不届き者を特定できることは大変結構なことですが、何でしょう、このモヤッとした感じ?

 技術の進歩のために犠牲にしているものがあるような気がします。

 私が差し出したわけではないですけどね。

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 文明が発達し、技術が向上し、便利になるのは良いことなんでしょう。

 でも、あらためて思うのは、機械への依存の高まりは人間同士の信頼の低下に他ならないのではないか、ということです。

 スポーツの世界ではカメラやセンサーなどがどんどん持ち込まれて、今では実に多くの競技で再確認がされるようになりました。確かに勝敗を左右するような誤審があってはいけませんから、理解はできます。しかし、機械導入の原因は人間の判断への不信感(なかにはわざと一方に有利な判定などがこれまであった)であることも忘れてはいけません。そして機械による判定が100%正しいとも言い切れません…からね…。

 先ほど目撃者って言葉を聞かなくなったといいましたが、これなんか完全に人間の視覚や記憶に対して不信感が原因だと思うんです。事故をした時に周りで見ていた人がいたら、たいていその証言で事故の顛末がわかるはずですが、一方が白を切ったり嘘をつき通してしまうと、なかなか解決しません。おかしいですよね。でもだんだんそういうふうになってきています。「私見ました!」といっても証拠としては弱いという認識が広まっているからだと思うんです。

そこで映像が客観的な証拠として採用されるんですが、この風潮が強くなると、事故も事件もそれで判断すればいいじゃん、ジャンジャンってなりそうです。ですから、仮に見ていたとしても、証言するわけでもないし、それ以前に、見た記憶をきちんと反芻しないから、ちょっと時間が経つとあやふやなものになっちゃいます。

 あまりいい傾向ではありませんよね。

 さらに、こうした機械が一般の人も手軽に扱えるようになると、何をするにも音声や映像といった証拠を取っておきたくなります。仕事上はもちろん、プライベートであっても。「あの時、あなたはこういったじゃないですか!」とか、「そんなの知らない、言ってない」っていう所謂「言った言わない論争」も防ぐことができますし、自宅に防犯カメラをセットすることで被害と加害者を証明できますからね。

 でも、今お話している内容の根っこの部分はやっぱり人間同士の信頼の低下…というか、他人への不信感があると思いますし、こうした機械の普及はそれを強める働きがあるような気がします。そのうち常にマイクやカメラを服に仕込んで行動するような社会になったりして…。

 私のネガティブシンキングはまだ続きます。

 機械のことはよくわからないんですが、運用する側が必ずしも公平公正とは限りませんよね。性能が高く機能が豊富になれば、判定やデータをどのようにもコントロールできるような気がします。ドミニオンみたいに…。

 すなわち「機械で判定してるんだから間違いない」とか、「実際の映像がこれなんだから客観的な証拠になる」という認識が必ずしも正しいとは限らないということです。

 あ、私は本当に機械音痴なので、空想でものを言ってますが、もしもカメラでとらえた映像を瞬間的に改竄できるとしたら、こんなものに何の価値もないって状況になっちゃいます。

 まぁ、これを言ってしまうと、何も成立しなくなっちゃうんですけどね。

 ただ、やっぱり機械に頼ってちゃダメだ!となった時、もう一度人間同士お互いに信頼して生きていきましょう!となるんでしょうか?

 そうそう都合の良いようにものは運ばないような気がするんですよね。

 ですから、闇雲に機械を信用して、どんどん人間の生活の中に取り込んでいくのは、もう少し慎重にしたほうがいいと思っています。

 私は田舎に住んでいますから、当分先のことかもしれませんが、家の外に出たら常にカメラにとらえられているような生活はちょっと窮屈です。そりゃ、犯罪の防止には一役買ってくれそうですが、油断して間抜け面を晒しているのも見られていると思うと、全く油断できませんからね。

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 アメリカの大統領選挙に不正があったとするトランプ陣営の主張を、私は今でも正しいと思っています。しかし、証人が数千人いるとか、映像やドミニオンを解析したデータがあっても、結局裁判で審議されることはほとんどありませんでした。バイデン支持派や結果容認派の人々はそれをもって、トランプ陣営の主張を荒唐無稽なものと決めつけますが、要は裁判所が判断を下したくなかったっていうことだと思っています。

 それと、今日のお話の流れで、宣誓供述書の扱いが軽くなっていること、そして、映像や解析データもきちんと立証するものとして未だに用いられないこと、っていうヘンテコリンな状況は、機械の浸透が人間同士の信頼を低下させることにのみ効果を発揮しチェいるような気がします。つまり、機械的に得られた証拠など、未だにどうにでもなる状態ってことですね。

 メディアの世論誘導も機械浸透による効果の一環だとしたら、こうしたテクノロジー万歳の風潮が誰の企図したものなのか、勘ぐってしまいます。

 とりあえず、テニスの試合は線審にいてもらいたいですし、それに文句を言ってる選手がいたほうが人間的で面白いような気がします。再確認するシステムはそのためにこそあるべきだと思うんですが、いかがでしょうか?