さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

116 クサヌキーズ

 みなさん、こんにちは。

 

 今年の夏は雨が多かったせいか、草の伸びが激しかったように思います。

一体どういう仕組みで新しい芽が吹くのかよくわかりませんが、刈っても刈ってもすぐに生えてきました。恐ろしいほどの生命力です。

 で、その迷惑な草をどうするのかというと、最近では刈る派と薬で枯らす派に分かれていると思います。

 ガブリエルの回でもお話したように、私の叔父は刈る派です。これはあの可愛くない3匹の猫のためです。なんでも、薬を撒いてそれを猫がなめて体を壊したらどうしてくれる!だそうです。まぁ、どうでもいいんですが、それを刈らなければならない私としては、除草剤で枯らしてくれた方がよっぽど楽なんですよね。

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 除草剤はラウンドアップが有名ですね。一時は発がん性物質が混ざっているとかで、心配する方もいましたが、あれってどうなったんでしょう?今も何もなかったように売っています。まぁ、そもそも除草剤が人体に良いわけがありませんよね。

 このラウンドアップは葉っぱにかけるだけで根まで枯らしてしまう恐ろしい薬ですが、主成分はアミノ酸で、植物に急激な細胞分裂を促し、やがて枯れてしまうんだそうです。たしかそう聞いた覚えがあります。特に劇薬でもないため、農耕地用としても使えます。除草剤によっては土を毒化して雑草が生えないようにするものもあります。これらは非農耕地用と言われ、道路など田畑に関係ないところでしか使用できません。これに対して農耕地用は土には何も影響がないため農耕地にも使えます。…ということはまた雑草も生えてくるということです。この点がラウンドアップの特徴で、一度全滅した雑草が1か月もたてばまた復活していることも珍しくなく、その度に撒かなければなりませんので、売る側としてはウハウハなわけです。

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 しかし、買う側にもメリットがあります。とにかく葉っぱにかけるだけでいいので、作業がとても楽ですし、枯れた草は勝手に風に飛ばされたり、土に帰ったりして消えてくれます。つまり枯れた草を集めて捨てる必要がないということです。先ほども触れましたが、劇薬でもありませんし、土の中ですぐに分解されますので、ドレッシングとして使用しない限り(かけた草を食べない限り)、それほど危険なものではありません。

 叔父のようにペットを飼っていたり、小さな子供さんをお庭で遊ばせたりするようなご家庭は敬遠されますが、作業や処分の両面で草刈りよりもメリットは多いですね。植木の根元に生えている草に対しては、まずゴム手袋をして、その上に軍手をはめて、その軍手を薬で濡らします。そうして毒手(毒ではないけど)ができたら、その指で草を触ればOKです。こうすれば、枯らしたくない植物を保存できます。

 夏の草刈りは時に命を危機にさらすことがあります。農耕地用の除草剤との合わせ技を使うのが最も効率的だと考えています。例えば境界付近は除草剤をジョーロで撒きます(噴霧器でやると隣の植物に影響が出ます)。木の根元などは毒手を使います。あと、広々とした障害物のないエリアは、草刈り機を使うか噴霧器で除草剤を撒くか、お選びになればいいことです。

 と、刈る派・枯らす派のお話をしましたが、実はもう一派ありますね。

 太古の昔からある「抜く派」です。

 草を抜く、という作業は人間が農業を営むようになってから本格的になったのではないでしょうか。特に水田を使うようになってからは、雑草は作業の邪魔になりますし、害虫や害獣の隠れ家になってしまいます。長い草は鎌で刈ることができますが、短い草や、地面にへばりついて生えている草は抜くしかありません。草抜きや草むしりは昔の農業の大切な作業だったのでしょう。

 今は良い薬もあるんでしょうが、逆に草が生い茂った状態で行う農業もあるそうです。いずれにしても草は抜くものから刈る、枯らすものに変わってきたように思います。しかし、一般のお庭では今でも草抜きをしているマニアの方々が存在します。

 機械や薬を使おうと思えば使えるにもかかわらず、彼らはあえてその指先での緻密な作業を選択します。腰の痛みも、足のだるさも、日差しも、雨も彼らを妨げることはできません。そして草を抜き終わった美しい庭を目的にしている人がいれば、まったく違う目的をもって草抜きをしている人もいます。いずれにしても、しゃがみこんでひたむきに草を抜き続けるその姿は、はじめのうちは物好きな人との印象ですが、幾たびもその姿を目にするにおよび、そこに後光がさすほどの美しさを認めずにはいられません。

 この草を抜く人に対して、「クサヌキーズ」の称号を贈ることにしましょう。

 …まぁ、いいじゃないですか。

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 クサヌキーズの中には先ほども触れたように、お庭の美化や衛生上の目的で作業をしている人が多くいます。この手のクサヌキーズはあくまで成果に拘るので、効率化や見落としなく抜くための目を養うことに余念がありません。大型化したフォークのような道具を使ったり、様々な角度で狩場を俯瞰したりしながら作業を進めます。その作業は徹頭徹尾現実的かつ機械的です。無駄な感情など入り込む余地などなく、イキイキとしていながらもどこか冷徹な瞳の輝きは小石の陰に隠れた小さな芽も逃しはしません。また、自身の体調の把握についても、決してそれを過信することなく、わずかな体調の変化にも敏感であり、即座に中断の判断を下します。さらに中断することのマイナス面を鑑みて、その愚をおかさぬための装備にも彼らの不断の意思を感じます。特に後頭部から肩にかけての日除けから冷却への技術革新は、クサヌキーズのためにこそ開発された感をぬぐえません。しかしながら、彼らは時に気まぐれないでたちで草抜きに興じる時があります。前のフル装備で行う草抜きが彼らにとって戦いであるならば、この時の彼らは遊びに夢中の童子のごとき腕白さです。帽子もなく素手で草を抜き履物はツッカケです。日差しにも群がる蚊にも一顧だにせず、気ままに草を抜きごく短時間でそれを終えます。そして底抜けの笑顔をこちらに向けてくれるのでした。それは日頃のストレスだけでなく、草抜きをする中でも鬱積してしまった膿を浄化するための道程なのです。

 こうした模範的なクサヌキーズがいる一方で、深い思索の世界に身を置くために草を抜く人たちもごく僅かですが確実にいます。この人たちが草を抜く動作は決して急いだものではなく、ゆったりと同じ速度でぽつりぽつりと草を抜きます。その指先に迷いはなく、一本一本の草を味わうようなゆとりがあります。彼らは草を抜きながらその生命の誕生に思いを馳せます。乾燥した種が土の中で息を吹き返す不思議から、やがて細胞レベルまで分け入っていき、それらが激しく分裂を繰り返す様に息を飲みます。米粒ほどの種から鳥観の域まで背を伸ばし、雄大に枝葉を広げるまでのダイナミックな営みは彼らの心を熱くします。やがてその思考は地球の誕生、そして宇宙の誕生にまで昇華され、その瞳はやがて清純な潤いを纏うようになります。その日の思索の旅が納得のいく地点にたどり着いた時、草抜きは終了します。かけた時間に見合わぬほど少ない獲物を満足そうに掴みながら、零れ落ちるのも気にすることなく庭の隅に向かい、そこでポイッと捨てます。何かを会得したものにしか醸し出せないオーラを身に纏いながら、沓脱石に腰を下ろし、旅の疲れを癒すかのように遠い虚空にぼんやりと視点を移していきます。これが思索クサヌキーズの実態です。

 まぁ、言ってみればただの変人です。

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 しかし、直にお客さんから「いやぁ、草を抜いてるとねぇ、宇宙を感じるんだよねぇ」と言われた時の私は「へっへぇ~っ、すっすごいっすね」としか言えませんでした。

 こういう人がこの世にはたくさんいます。だから面白いんですが、時々どうしても笑えない人がいて、そんな人に対して、その人が望むリアクションをして差し上げるにはまだまだ修行が足りない未熟な私なのです。