さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

70 「よゆう、余裕、???」

 みなさん、こんにちは。

 

 食欲の秋ですねぇ。

 ある意味、私にとって精神的に苦しい季節になってまいりました。

 せっかくお腹がちょっとだけ細くなったのに(体重は変わらないけど)、ここでバク食いをしてしまうと元の木阿弥になっちゃいます。

 そこで、選んだ食材は鶏肉です。

 実は鶏肉大好きです。特にもも肉が好きです。とっても美味しいです。

 しかし、もも肉ばっかり食べていると、やっぱり良くないのかなぁと思い、ムネ肉も食べるようにしています。レンジを使うと料理が楽ですし、ぱさぱさしないので、けっこう美味しくいただけます。

 でもやっぱりもも肉のほうが美味しいので、どうにかならないのか考えてみたら、ガスコンロのグリルで焼いてみよう、ということになりました。いやぁ、あのグリルって魚を焼くためのものだと思っていたのですが、使ってみるとなかなかイケるのでびっくりしました。でも考えてみれば肉も焼けるのって当たり前ですよね。良くないのはスイッチに魚マークなんかが書かれていたことですね。これじゃ魚焼き専用って思っちゃいますよ。

 それで調理方ですが(大袈裟な)、鶏もも肉にちょっと包丁を入れて、厚みを均等にします。そこにアジシオを強めにかけて皮の方から焼きます。中火で7分くらい。ひっくり返して5分くらい。…出来上がりです。包丁で食べやすいサイズに切ってお皿に盛ります。

 ちなみにうちのガスコンロのグリルは上側にだけ火がつきます。まぁ、買う時にグリルなんか使わないから両面焼きなんかいらないよって思い、片面焼きのものにしたのが良かったようです。プロの調理器具でサラマンダーっていうのがありますよね。上だけ焼く機械です。これならゆっくり熱が通せるし、余分な脂が下に落ちてくれます。

 出来上がった鶏もも肉の塩焼きは、まず皮がおいしいんです。身の方も案外ジューシーです。パサッとするかなと心配しましたが、そんなことはありませんでした。たぶんゆっくり火を通したからですかね。塩味だけでも美味しいですし、マヨネーズをつけても美味しいです。

 みなさんもぜひやってみてください。

 あ、そんなことは既にご存知でしたか、それは失礼しました。

 

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 TVをぼんやり眺めていると、ガーナから来日して日本でボランティアをしている人が、「日本は豊かですごい技術を持っている国なのに、日本人には余裕がない」って言っていました。

 余裕がない。余裕ねぇ。う~ん、これってマズイなぁ、ドツボにハマるパターンだ!って思った時にはもう遅かったです。

 頭の中が「よゆう、余裕、???」となってしまいました。

 人間的な余裕って「ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。」だそうです。で、ゆとりって「物事に余裕があり窮屈でないこと。」だそうです。ムー、これは堂々巡りのパターンですね。まぁ、意味は意味として、このガーナ人の方がどうして日本人には余裕がないと言ったのか考えてみました。

 例えば、せかせかしているから、時間に追われているから、つまらなそうだから、不安を抱えていそうだから、疲れているようだから、不満を募らせているから、…いろいろありますね。でも、なんかしっくりきません。

 では、余裕のある状態ってどんな状態でしょうか?

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 例えば、うまいコーヒーを飲みタバコの煙を燻らせながら仕事中にもかかわらず喫茶店に居座り、少しずつ色をあかく染め始めた山々を眺めながら若干の罪悪感を楽しんでいる今の私、とか。ん?これでいいの?これいつものことですけど…。と言うことは私は余裕のある日本人?…ガーナ人の方はたぶんチガウヨッ!って言いそうですね。

 先に挙げた例の反対で考えれば、せかせかしていない、時間に追われていない、楽しそう、不安がない、疲れていない、不満がない、こんな感じですか。う~ん。

 ガーナ人の方がその前に「日本は豊かですごい技術を持っている」って言っていましたね。それなのに「余裕がない」って。国は豊かで技術があるのに人は余裕なし、ですか。まぁ、これだけではガーナ人の方が言いたいことはわかりませんよね。ネタを明かせば、このガーナ人の方が行っているボランティアっていうのは月に数回の食事の提供です。まぁ、店内炊き出しみたいな感じ。もうちょっと詳しく言うと、子供を抱えながら何らかの問題で生きづらくしている人達に食事とくつろぎの場を提供しているようです。余裕がないというのは生きるのが辛そうだ、と言うことのようですね。

 喫茶店のTVなので、そんなにまじまじと見ていませんでしたし、余裕がないの一言が私の頭を完全に支配してしまったので、気が付いたらその番組は終わっていました。ですから、番組としての答えを得ていませんでした。(私はいつも肝心なところが抜けてるんですよね)

 それで、なぜ生きるのが辛いのか、まぁ、喫茶店でサボっているヤツが言う事ではありませんが(私としては一応次の打合せ前の心の切り替えをしているつもり)、いろいろな理由があるにせよ、きっと先に光が見えないからなんだろうと思います。今が良くなくても、将来きっと良くなるという希望があれば、結構人は頑張れると思いますからね。さらにそんな状況でも日本人は我慢しますから、よその国から来た人にしてみれば、「え、なんで?」ってなるんでしょうね。私だって、自分の将来には希望がいっぱいあるよ!なって決して思っていませんが、そこに集まっている人達とはその程度に大きな差がありそうです。とりあえずそのくらいのことしか考えられませんでした。

 う~ん、このテーマは今の私にはちょっと荷が重いようです。すみません。

 生きづらい社会とか、よく聞きます。自分がそう感じたことはないかと自問自答した時、なんとも言えない気分になります。周りの人との会話の中で、聊か自嘲気味にそんなことを言っている人もいます。そんな話を普段何気なく聞き流していました。とりあえず、自分の身近な問題としてしばらく考えてみようと思います。

 喫茶店にいることへの罪悪感よりもはるかに強い自己嫌悪を抱えながら店を出ました。

 車を運転しながら、「だいたい世の中こんな風なのに、政治家もマスコミもなんで学術会議のことばっかりやってんだ!!」と段々腹が立ってきました。

 はい、間違いなく責任転嫁をしています。

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 でも、最近、この方々ってそういう使い道しか思いつかなくなっているんですよね。