さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

㊲私は雨が嫌いです。

 みなさん、こんにちは。

 

 ずいぶんと涼しくなってきました。

 記録的猛暑というフレーズをちょっと前まで聞いていたような気がしますが、まったく極端な気候です。

 気温の変化の要因は「太陽と地球の天体運動に伴う太陽光の入射角度の変化」(Wiki選手より)にあるようです。すると、何かの拍子に地球がチョコっと滑ったりしたらとんでもないことになってしまいます。いやいや、そんなことはあるはずありませんが、何ともデリケートな形で成立している状態ですね。

 こんなことを考えるのはとても楽しいのですが、この観点に立つと、戦争したりいがみあったりしているのがとても小さく愚かな行いに思えて情けなくなってしまいます。前回触れたピーチ航空のお話ではありませんが、地球を飛行機や宇宙船に例えてみればどう振舞うべきなのか、少し考えが変わってくるのでは?と考えるのはおかしいのでしょうか。まぁ、ちょっと乗り物としては広すぎますし、今日をいかに生きていくのかが問題の人々にとっては、恵まれた境遇にいる者の甘えた発想とお叱りを受けてしまうのかもしれません。

 グローバル化ってよく聞きますが、本来金儲けの話ではなく、地球規模での人類の繁栄のことではないかとも思うのですが…。

 柄にもなく大きな話をしてしまいました。すみません。

 

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 さて、過ごしやすい気温になるのは良いのですが、雨が多いのが玉に瑕です。しかも、統計を取り始めてから過去最高の降水量とか言われると、もう勘弁してくれよ!という気分になりますね。ほどほどが良いのです。ほどほどが…。

 私は雨が嫌いです。正確にいうと雨の中屋外で過ごすのが嫌いです。もっとも、これが好きな人って少数派のような気がします。作業中雨が降ると作業を中断、もしくは中止することになってしまいます。都合上、すぐに中断できない場合、体も道具も材料も濡れちゃいます。靴の中に水が侵入してくると、気持ち悪くてもう帰りたくなってしまいます。うっかり図面などの書類を屋外に置いてしまい、気が付いた時、紙が別の物質に変化したように儚く千切れてしまうと、しばし呆然としてしまいます。

 仕事の折だけでなく、雨の中車を運転するのは大変煩わしいもので、視界も悪いし、スリップしそうで気持ちよく歌えません。…まぁ、歌はいいんですが。夜、対向車のライトが雨で乱反射すると、本当に見えにくくなるので速度・車間距離には特に気を使わなければなりません。事故は嫌ですから。

 あと、雨の中歩くときには傘をさしますよね。でも、私は傘をさすことに慣れていないせいか、何かしっくりきません。よく考えてみたら、雨の中傘をさして歩くという行為をほとんどしてきませんでした。住んでいるところが田舎なので、移動は車です。よく都会の人のほうが田舎の人よりよく歩く、というのは本当で、田舎の移動手段は徹底的に車です。バスや電車で通勤している人も仕事中は社用車で移動する人がほとんどです。つまり、建物から車までの移動時に傘を必要とするのですが、なんとなく傘をさすよりダッシュを選択してしまいます。

 さらに、雷さん嫌いの私からすると、傘って避雷針みたいに思えるものですから…。特にこの時期の雨はよく雷さんを連れてやってきます。たまに雷さんのほうが先行してやってくることがあるくらいです。ですから、今後も傘は可能な限りささないのではないでしょうか。

 

 雨、雨と考えているうちに、そういえば子供のころは雨ってそんなに嫌いではなかったような気がしてきました。

 子供のころ、雨は様々な苦痛を与える行事から私を救ってくれていたように思います。神社の清掃や持久走、運動会の練習(この練習っていうのが意味不明でした)、そしてなにより部活の練習。一応体育会系で運動は好きなのですが、そこは、まぁ、経験のある人にはわかっていただけると思いますが、どんよりとした空を眺めているとこれは雨が降るかも!という期待感が徐々に心の中で大きくなってきます。そうなってしまうと心の中は雨乞い状態になってしまいます。そして、願いが天に通じたのか降り続く雨。その神々しい光の滴を部活前の授業中にうっとりと眺めていたものです。晴天の日にはそんなことないのですが。

 なんだ、そんなことか!という声が聞こえてきそうで怖いのですが、子供のころってそんなものではないでしょうか。でも、あの当時、ぽつぽつ降ってはやんでしまう雨に対して「降るなら徹底的に降れ!降らないなら降るな!!」などと煮え切らない空に向かって毒づいていましたが、今なら「降るならほどほどにしろ!降らないなら降るな!!」にかわってきました。我ながら本当に都合よく考えるものです。

 

 皆さんもご存じのとおり、最近の雨はどうも極端です。その極端な降り方をする雨が毎年のように発生しています。そして多くの人々が被害に遭っています。こうなってくると、自然の猛威であり、人々が生活する上での障害となってしまいました。たしかに極々短い時間にこんなに大量の雨が降るのはここ数年の特徴です。何年、何十年前に作られたインフラはそこまで想定していなかったのでしょう。でも、人間はきっとそれを克服すると思います。これまでもそうでしたし、これからもそうであってほしいものです。ただ、その都度犠牲が出てしまうことには暗澹たる思いになります。例えばゲリラ豪雨という現象は以前からあったわけですから、兆しを見つけた時に動き出していれば、というのは結果論でしょうか。

 まるで他人事のような語り口で申し訳ございません。

 しかし、昔は歌に詠まれていた雨は、あくまで天候の一つであり、人々に害をもたらすことなく、風流なものであってほしいと思っています。

 

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 ちなみに、仕事柄雨が降った後スーパーなどの駐車場に水たまりがどれくらいあるのか観察します。水たまりが少ない駐車場を発見すると、その仕事の良さに感服します。水たまりだらけの駐車場に対しては、とても残念な気分になります。ついでに靴の中まで濡れると腹が立ちます。

 雨水などをきれいに排水するためには最低でも1m進むごとに2㎝程度の勾配(傾斜)が必要です。屋外で水平・真っ平らなフロアは別の理由でもない限り存在しません。ですから、舗装を生業とする方々はこの水勾配の取り方に異常なくらいこだわります。特にアスファルトの場合は性質上きれいに仕上げるだけでも大変なのに、そこに勾配がどうのこうのとなると、その難易度が格段に上がります。それでも「いかに床が斜めになっていないように見せながら、水をきれいに流すか」に知恵を絞ってつくっています。

 私のマンションの駐車場は水たまりができません。十年くらい前につくられたはずですが、いまだに雨の後は美しい状態です。これは駐車場の四方の端に排水溝を設け、できるだけ短い距離で水を流すようにしているためで、実際の勾配はやや強め(1mあたり3~4㎝程度の勾配)に取っているようです。少し費用のかかるやり方ですが、毎日の車と建物の行き来を考えたところに、家主さんの良心を感じます。

 おかげ様で、私は靴の中を濡らすことがなくご機嫌なわけです。