みなさん、こんにちは。
買い物袋が有料化されちゃいましたね。
私がよく行くスーパーでは、何年も前から有料化されていたので別に違和感はありませんでした。しかし、コンビニで「袋いりますか?有料ですが」と歯切れの悪い効き方をされた時にはびっくりしてしまい、「…ハァ、い、いります」とこっちもモゴモゴ答えてしまいました。
買い物袋が有料化されることは知っていましたが、何となくコンビニでもそうなると思っていませんでした。バカでした。
また、あるドラッグストアでは、袋のサイズをこちらが指定しなければならないので、早くもストレスを感じるようになってしまいました。8種類の中から選ばなければなりませんので。そっちで勝手に決めてよ~、と言いたくなります。
私は他人とコミュニケーションをとることにあまり抵抗を感じません。仕事柄というのもあるのでしょうが、会話をするのは好きなほうです。ただ、自分の買い物の時だけは、妙にシャイでナイーブになってしまいます。なぜでしょう?
別に如何わしいものを買っているわけでもないのに。
如何わしいものと言えば、中学生の頃のHな本購入作戦が思い出されます。
そりゃあ思春期ですからねぇ。そうしたことは誰にでもあるでしょう。うんうん。
今ではネット通販がありますから、苦労はありませんが、逆にその年頃に経験しなければならい背徳感というか何というか、…まぁいけないことをあえてしていることにスリルや罪悪感が複雑に絡み合って…何が言いたいのか自分でもわからなくなってきました。とにかく、現在の青少年には到底できない(できるけど)貴重な経験だったわけです。
当時の私の心理は、さながら鬼平犯科帳に出てくる一人働きの盗賊であり、如何にして鮮やかにお宝(Hな本)を奪取できるのか、結構真剣に考えていたものです。今考えると、本当にバカみたいですね。念のために言っておきますが、万引きしたりするのではありませんよ。当然お金を払って買ってくるのです。当時の私にとって、これはおつとめ(?)であり、それは本の選定と店番との心理戦という2つの作業に分かれていました。
本の選定については基本的におつとめ前の偵察を何度かすることで完了しておかなければなりません。どの棚のどの位置にお宝が収納されているのか、加えて他の客の少ない時間帯や店番についても詳細な下調べが必要です。曜日や時間帯によってどのような人物が店番をしているのかは特にきちんと把握しておかなければなりません。一人働きといえども、無様なおつとめをするわけにはいきませんからね。
標的となったお店の店番は中年のおじさんと80台くらいのおばあさんが交代でしていることはすでに把握していましたので、おつとめの日時はおばあさんが店番をしている時となりました。しかしこのお店もさる者で、店内に侵入しなければ店番が誰なのかわかりません。なかなかやります。したがってこのおつとめには2つの掟(決め事)がありました。1目指すお宝がない場合は何も買わずに速やかに店を後にすること。2店番がおばあさんでない場合は同じく何も買わずに帰ること。この2つの掟を守ることこそが捕り方をかいくぐってきた老盗(中学生ですが)の矜持でもあったわけです。
目指すお宝を手にして、どこまでも涼しげな顔をしながら会計を済ませ、風を切って店を後にする時「まぁ、私にかかればこんなもんよ」と嘯きながら、無事おつとめをやり切った達成感に満たされていたものです。どれだけ動悸が激しくとも、どれだけその手の震えが制御し難いものであっても、それをおくびにも出さずおつとめを完遂できた者にしか味わうことができない感覚でした。
あっ、重ねて念のために言っておきますが、お宝は別に成人指定の雑誌ではなく、ちょっとだけHな要素のある雑誌やコミックでしたよ。だから別にこんなに大げさに考えなくても良かったのですが、そこは思春期の悩める中高生として、欲求と羞恥心のはざまに揺れ動いていたせいだとご理解ください。
その日も入念な下調べをした上で、無事おつとめを終えるはずでした。
ところが、この日に限っておばあさんから「いつもありがとうね」と通常の3倍くらいの音量で声をかけられてしまいました。その時私は「うっ」なのか「むっ」なのか判別できない声を出してしまいました。この瞬間、老盗(中学生ですが)の胸に去来したものは、長きにわたるおつとめからついに足を洗う時が来たのだという感慨でした。
今思えば、おばあさんはすべてを理解しており、その掌の上で私は踊らされていたのでしょう。赤面の至りですが、これもまた良い(?)思い出なのです。
うん?なぜこんな話を?あっ、レジに行くとシャイでナイーブになるということからでした。実際、上記の経験からそうなったのか、はっきりしません。はっきりしているのは、中高生になったころを境にレジで会計をする時にはほとんどしゃべらなくなったことでしょうか。逆にスーパーのレジでぺちゃくちゃしゃべっているのもなんか変ですよね。後ろに並んでいる人達の神経も逆なでしちゃいますし。
また話が逸れてしまいました。すみません。
買い物袋の話でした。
しつこいようですが、買い物袋の有料化にについて私は別に何も感じません。
もうずいぶん前からスーパーでそのようになっていましたから。
でも、ドラッグストアでの袋のサイズ指定があまりにも面倒なので、衝動的にその店でエコバッグとかいうのを買ってみました。200円しなかったと思います。結構頑丈で、持ち手も長短2種類用意されているところなど、なかなかコスパがよろしいようです。残念な所はかなりはっきりした青色であることと、不必要なくらい大きいことですね。2Lのペットボトルが20本くらい入りそうな大きさです。おかげで、よほどうまく詰めないと、買ったものが袋の中で大暴れしてしまいます。
まぁ、袋のサイズを聞かれなくても済むようになりましたし、200円以下なんだから、あまり贅沢は言えませんが。
エコバックについて考えてみると、柔らかいバックではなくスーパーにあるような買い物かごのタイプがありますよね。たしか叔父が使っていたような気がします。私はあれのほうが良さそうな気がします。買い物は車で行きますし、かごのほうが安定するし、さらに言うとレジでそのままかごに詰めてくれるからです。
難があるとすれば、これを持ってコンビニへは入りにくい、ということでしょうか。
あと、この買い物袋の有料化はその消費を抑える効果はあると思いますし、スーパーなど小売店側の負担の軽減には役に立つと思います。買い物袋自体がゴミになることは減ると思いますが、環境問題としては果たしてどうなのでしょうか?
我が町では燃えるゴミとして出しています。
これは問題ないのでしょうか?
繰り返し申し上げますが、私は買い物袋の有料化について何も文句はありません。
これでいいと思っています。でも、それは買い物袋だって本来ただじゃないんだから、いつまでもサービスしてもらっても悪い、と思うからであって、別に環境問題に強い関心や理解があるからではありません。あまりこういったお話はしたくないのですが、環境問題を理由にされると、なかなか反対意見を出しづらくなりますよね。そんな空気を感じませんか?そのくせ、その環境問題って枝葉の話が多くって、実際買い物袋を有料化すれば確実にプラスチックゴミは減るのでしょうか?海岸を歩いていると、洗剤の容器などのほうがよっぽど多いような気がしますけど。まぁ、やめておきましょうか。
買い物袋と同じプラスチック製の袋って、100均などで売っていますね。100枚入りとかで。そのうち、それを持ってくる人がたくさん現れたらどうなるのでしょうか?
そういう人は非難されちゃうんでしょうか?
でも、本来非難されるべきなのは、ゴミを不当に投棄する人達のような気がするのですが、どうなんでしょうね。