さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

②そもそも自分の実利を期待しての親切なんて胡散臭いですもんね。



 みなさん、こんにちは。

 

 先日の閉め忘れ防止ミケネコの件ですが、開けっ放しの時に同じセリフしか言わないとお伝えしましたが、その後食料品を収納する際にいろいろなセリフを言うことがわかりました。訂正してお詫びいたします。

 しかし、そうなってくると、それを聞くためには開けっ放しにしなければなりません。でも、そんなことをしたら冷気が抜けてしまいますし、電気代が…。

 まったく、悩ましいものを買ってしまったものです。もう少し愛想の悪いやつを選べばよかったと、ちょっとだけ後悔しています。

 

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 さて、梅雨も明けて、さあいよいよ外に出て遊ぶのに良い季節になってきましたが、世の中コロナ禍の二次感染が広がっていて行動しにくいですね。

 そういう意味で、せめて釣りくらいは良いのではと考えています。

 人混みの中ではできませんし、換気なんて気にしなくていいし、もちろんマスクつけてできますし。強いて言えばマスクにエサの臭いが付いた時、新種の拷問を経験することになるくらいでしょうか。

 私は釣りが趣味です。主に海で釣りをします。釣り方はふかせ釣りをします。

 ふかせ釣りというのは撒き餌を撒いて魚を集め、その中に釣り針の付いたエサを漂わせて魚を釣っちゃおうという釣り方です。詳しくはまたの機会にお話します。

 私は釣りを行うにあたってとてもゆる~い姿勢で臨んでいます。

 ぶっちゃけて言うと、別にたいして釣れなくても良いのです。

 私は漁師さんではありませんので、日時、天候、潮、ポイントなどを鑑みて最適な状態で釣りができるわけではないのですから。

大切なのは釣りをしているということ。できればのんびりと、気分よく。

 一応準備はある程度きちんとしておきます。その時にこういう仕掛けでこんなふうになるとこういう魚が釣れるのでは?と考えながら。これは釣りをする人に共通する楽しみでしょう。

 釣り場は大体港の防波堤です。一人で行くことが多いので、あまりリスクの高いところには行きません。ゆるいでしょ。

 でも装備としてフローティング機能のあるベストを着用します。波止でそんな格好の人はあまりいませんが、海に落ちたら大変なので。それにポケットにかなり収納力があるので、結構重宝します。

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 そういえば、先日釣りをしていると隣のスペースに小さな子供を2人連れたお母さんが「失礼します。ここで釣りをさせてもらってよろしいでしょうか」との丁寧なご挨拶をいただきました。もちろんこちらも「どうぞどうぞ」と気分よくお答えしました。気分がよかったのはそのお母さんが好みだったからではありません。いや、別に好みでないわけでもなかったように思いますが、…。あのう、よそのお母さんに不埒な企みなどいたしません。そうではなくって、ご挨拶いただいた上に、その装備が気に入ったからです。その母子はオレンジ色のライフジャケットをつけていました。おそらくこの日の釣りのために購ったと思われるほど初々しい輝きを放っていました。なにしろその波止は海面まで5m以上あります。(5.3mの竿が届かないくらい)不用意に転落したらどうにかなってしまいます。その安全第一の姿勢に感心するとともに、「ムムッ、侮れない人々」と妙な対抗心を燃やしながらはしゃいでいる子供を眺めている私はやはりバカなのでしょう。

 お隣の母子はサビキ釣りといって6本くらいの針がついた仕掛けでアジなどを釣るつもりのようでしたが、肝心の魚がいないようで空振りしていました。それもそのはずです。魚は私の撒き餌に集まっていたのですから。なかなか釣れないので、子供たちも聊かやさぐれそうになっていて、お母さんもそれをもてあましているようでした。

 そこで、「ちょっと失礼します」と声をかけ撒き餌を子供たちの仕掛け投入付近に撒いてあげました。当然小魚はそちらに移動し、以降小魚入れ食い状態に。

 お母さんから「ありがとうございます」と。「いやいや、頑張って釣ってください」と答えた私は、その後チヌ(クロダイ)を2枚釣りあげることができました。

 でも、ちょっと複雑な気分。なぜかというと、自分の撒き餌のせいで小魚が集まりその下にいると思われるチヌが釣れなくてちょうど困っていたところでした。そこでお隣に撒き餌して小魚を移動させて目指す魚が釣れたわけで、はたして純粋な親切心での行いだったのかという疑問をもってしまったのです。

 結果から考えれば、お隣もたくさん釣れて楽しい。私もチヌが釣れてうれしい。こういうのをwinwinって言うんでしょうか?あれこれ考えずに、「よかった、よかった」ですませてしまえば良いことなのでしょう。でも、やっぱり気になります。

 これは、親切心に対する私の考え方が影響しているのでしょう。

 親切とは見返りを求めずに行うものである、っていう感じです。

 お隣が釣れてないようだと気づいたときに、小魚が私の足下に集まっているからだとすぐにわかりました。そこですぐにお隣の足下に撒き餌をしました。この間「そうすればこっちも釣りがしやすくなるぜ、クックックッ」などという黒い感情はなかったと思います。逆に「こっちの魚がいなくなっても別に構わないよ」くらいの考えだった…はずです。(←少し自分が信用しきれない)おそらく、私のほうは釣果ゼロとなれば私の親切心は完璧な自己満足として完結していたはずです。

 でも釣れちゃった。しかも2枚も…。

 見方を変えて、お隣の立場で考えればどうでしょう。釣れないところへ撒き餌してもらって釣れるようになった。そして私も釣れた。おそらくこれで私に対する気がねみたいなものはなくなったことでしょう。もし私が何も釣っていなかったら、喜びの表現に聊か霧がかかったかもしれませんね。

 だから、素直に「お隣も私もどちらにとってもよかったよかった」とすればよかったのです。おさるのおつむのくせにいちいちめんどくさいことを考えるな!と言われそうですね。ごめんなさい。叱らないで。

 

 とても些細なことですが、こうしたことは日常よくあるような気がします。

 相手のために良かれと思って行った行動は、助けることができたとか役に立ったという自己満足でじゅうぶん自らも満たされるものですが、そこに思いもよらず利益がもたらされてしまうこと。そしてそのことに「いいのかなぁ?」戸惑ってしまうこと。

 それでも私はこれで良いと考えています。

 この戸惑いこそ、それまでの行動が真心のよるものであることを示しているのですから。(うわ~、何かきもちわりぃーとか言ってはいけませんよ)

 そもそも、お隣の母子から良い気分にさせてもらっていましたし、わざわざ波止までやってきたお母さ…いっいや、子供たちに楽しんでもらいたいと思っていましたし。

 そもそも自分の実利を期待しての親切なんて胡散臭いですもんね。

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 その後、このことをきっかけに私とそのお母さんは…、なんてこともなく、帰宅し、冷蔵庫にチヌをしまおうとすると、「会いたかったよ~」とミケネコ。それに対して「お前だけだよ…」といった私。疲れのせいか知りませんが、一瞬体が鉛のように重くなり動けないでいると、「冷気が逃げちゃうよ~」の一言で我に返りました。

 バカでした。

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