さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

今度は給食が問題なんだそうですね。

 みなさん、こんにちは。

 

 日本に住むイスラム教の信者が抱える問題として、以前埋葬法の話がありました。

 日本は火葬がほとんどなのに対して、イスラム教はそれを禁じており土葬するんだそうで、九州に住むイスラム教信者の方と地元住民との間で軋轢があったと聞いています。

 で、今度は給食が問題なんだそうですね。

 ちょうど今、イスラム教では断食の時期にあたるんだそうで、給食が食べられない子がいますね。

 また、イスラム教の決まりによれば食べてはいけないものがあるようで、そうしたことも問題になってるんだとか。

 ・・・・、なんで?

 断食月で食べられないのなら、給食の時間は別の部屋で過ごせばいいし、食べてはいけないものがあるのなら、もったいないけど残して足りない様なら何か持ってきて食べればいいだけの話だと思うんですが、誰が言ってるのか知らないけど給食を提供する側が配慮するべきだって意見があるようですね。

 ただでさえ学校給食の存続について携わってる人達の涙ぐましい努力に支えられてるっていうのに・・・。

 ・・・、またか・・・。

 日本は信教の自由が認められてるので、イスラム教であろうがキリスト教であろうが何を信じてもいいよ!ってことになってますね。

 でも、それを選ぶにあたって当然制約があるわけで、今度はその制約が苦痛だから周りが配慮しろ!っていうのはやっぱり乱暴だし身勝手な話だと思うんですよ。

 子供たちは自分の意志で入信したのではないのだからって言われても、それなら親などの保護者が責任を持つべきでしょ。

 私は病気やけがなどで障害を負った人などに対する配慮はあって当然だと思ってます(一部過剰な要求をする人がいるようですが)が、わざわざその社会では少数派に属すような選択をしておいて、社会が、世の中が配慮しろ!っていうのはやっぱりおかしいと思ってるんですよ。

 もちろん差別や不当な攻撃をするのは絶対ダメだけど、何やらメディアが広めようとしてる論調って、少数のために多数が我慢しろ!って言ってるみたいで嫌なんですよ。

 そういえば私が中学生の頃、立春立志がどうのこうのということで、近くの神社の掃除っていう行事があったんですが、1人だけ教室で自習してたんですね。

 私は歴史が好きなので普段は入れない神社の本殿周りに掃除とはいえ入れるからノリノリだったんですけど、他の連中は低~いテンションでしたよ。

 でも、あの時、ちょと不思議だったんですよね。

 なんでアイツだけ掃除に行かなかったのかって。

 後で彼の家族が創価学会に入ってたからって聞いて、ああ、そうなんだ・・・くらいしか思いませんでしたが、今なら逆に神社の掃除なんていう特定の宗教に傾倒した行事はおかしい!とか言われるんでしょうかね。

 最近日本では、日本人でも外国人でもとにかく自分に都合のいいように世の中が変わるべきって考えが横行してるような気がします。

 本来、習慣にせよ道徳にせよ法律にせよ、そういうことで対立しないようにするためにあるものだと思うんですが、それを破壊するってことは最終的に対立ばかりの住みにくい国になっちゃいそうですね。

 そろそろこのマイノリティ優先の考え方を改めた方が良いと思うんですよ。

 そもそもどうして少数派なのか考えもしないで・・・。

 

 

 

 

 

 

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