さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

868 和尚さん、それはダメだよ!

 みなさん、こんにちは。

 

 祖父の23回忌の法事があったんですが、お寺の住職さんがやっちゃって・・・。

 あ、今日は法事のため会社は休んだんですよ。

 休みなのに朝早くから実家に行って、それからお寺へと・・・。

 仕事の日の方が何だか楽~!って思いながら久しぶりに着た礼服がなんかブカブカして歩きにくかったですね。

 コロナ以前なら、法事ともなるとそれほど多くはないとはいえ親戚を自宅に集め、お寺から住職さんを呼んで読経してもらい、その後お墓参りをするんですが、コロナ禍による人の集まりを避ける習慣は田舎ではもはや常態化したようで、今回は実家の母、兄夫婦、甥っ子と、後は叔父と私の6人だけになっちゃったので、お寺でお経をあげてもらい、隣接するお墓に参ってしまうようになったんですね。

 で、お寺のお堂にはストーブがつけてあり、座敷用の低い椅子も用意されていたのでとっても快適だったんですが、母親は本尊の前に据えてあった卒塔婆をじ~っと見ていたんです。

 まぁ、私は梵語が珍しいのかな?くらいにしか考えていなかったんですが、住職の読経前のお説教の時、その理由が分かったんですよ。

 「・・・・・。さて、本日はおじいさんの17回忌をご奉仕させていただくわけですが・・・」といったところで母親が「あのう、23回忌のはずなんですが・・・」と間髪入れずに言っちゃって・・・。

 ・・・・・・・・・・、住職さん、しばらくホケ~っとしてから、「あっ、こりゃ間違えとりましたな」といいながら頭をピチャっと叩いちゃって・・・。

 その音がとってもいい感じだったので、私は吹き出しそうになったんですが、母親は難しそうな顔をしてるし、叔父にとっては実の父親の法事ですからね。

 ただでさえ腰が痛いところに自分の父親をちょとバカにしたようなことをされてしまい、初めからお尻を前にずらしながら座っていたのが、益々前にずらしちゃって、この叔父もいい年をしてふてくされた不良中学生みたいになってました。

 それにしても、亡くなって何年経ってるのかを、よりによってお寺の住職が間違えちゃうとは・・・。

 しかも、卒塔婆にもしっかり十七の文字が書かれてたし・・・。

 後で聞いた話では、お寺から来た法事の案内にはちゃんと23回忌って書いてあったそうなんですよね。

 事務方の住職の奥さんはしっかりしていたようですね。

 さっきも書きましたが、まぁ、私はそんなに腹は立たなかったし、頭をペチっと叩いたのが面白かったので、それはそれでよかったんですが、住職が新しい卒塔婆をとってきておもむろに書き直した後で、いったいこの事態をどうするんだろう?ってワクワクしてたんですよね。

 で、とりあえず大変失礼しましたと言ったね。

 我が町には全国でも屈指の規模を誇る神社があり、その宮司なんて言うのはある意味最も権威が高い存在なんですね。

 で、確かに他のお寺も同様に以前はそのお寺の檀家だった家がその神社の氏子になっちゃうことって結構あるようなんです。

 お寺の檀家は定期的に大掃除などをイベント化してやってますが、すでに檀家でなくなった家は参加しませんからね。

 そのことを言ってるんでしょうけど、ウチのおじじの件はもうおしまいなのかい!って私ですら思ったもんだから、案の定母親はますます険しい顔になってるし、叔父に至っては、いっそのこと横にならせていただいた方がいいんじゃないの?っていうくらいお尻を前にずらしてふんぞり返って座ってたんですね。

 それもあってか、住職のお説教というより神社の悪口はますます激しくなり、葬儀が簡素すぎるとか、宮司はお高く留まってやがるようなことまで上品に言ってましたね。

 そして、そのお説教(愚痴)が始まって45分くらい経過してるのに気がついたのか、「いや、長々と話し込んじゃいまして・・・。それではご奉仕させていただきます」と言って読経が始まりました。

 途中、一度だけ横を向いて「ゴショウコウヲ・・・」って言ったようですが、誰もよく聞き取れなかったようで、慌てた兄貴が母親や叔父、果ては私のところにまでやってきて「今、焼香しろって言った?」って聞いて歩く始末でした。

 それ以外住職は一切うしろを振り返ることなく読経は15分くらいで終了。

 で、その後、いつもは一緒に墓に行くんですが、今日は線香に火をつけたものを渡して、私の名代です(???)って言ってそそくさと奥に引っ込んじゃいました。

 何やら機嫌を損ねたような顔をしてましたね。

 叔父貴の座り方が気に入らなかったんでしょうか?

 まぁ、こんな法事は初めてでした。

 実家のお墓があるこの浄土宗のお寺は、結構お寺が多い我が町でも大きい方でして、現住職も後を継いでから30~40年くらいのベテランなんですが、跡取りはいるものの、ちょとお寺の先行きが怪しくなってきたな!って思っちゃいましたよ。

 私は今もそれほど腹は立っていないんですよ。

 ただ、何回忌だったのかを間違えたことよりもそれをきちんと謝らずにごまかすように神社の悪口をおっぱじめたことは良くないと思っています。

 そして、その悪口よりもその後いつものおつとめ(一緒に墓に行って軽く読経する)を放棄しちゃったのはさらに良くなかったと思っています。

 きちんと謝罪して、こちらから赦しを得てから物事を進めないからこういうことになるんですね。

 お寺の和尚さんが良識のシンボルだった時代は終わっちゃったんでしょうか?

 まぁ、たまたまだっただけなんでしょうけどね。

 

 

 

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