みなさん、こんにちは。
今日は父と祖父の法事(一緒にやってもいいみたい)がありまして、久しぶりに礼服の袖を通したら肩がこっちゃいましたよ。
でも、お寺の本堂でお経を聞くのってなんかいいっスね。
畳の上に置かれた椅子はなぜか膝よりもお尻の方が低くって、どんな姿勢をとっても
不自然な気がしてたんですが、それでも数年ぶりに見る仏像や飾りなどに気を奪われちゃって、いい年したおっさんが読経の間キョロキョロしてました(笑)。
実家のお墓があるのは浄土宗のお寺ですので、南無阿弥陀仏を唱えるんですが、数珠を手にそれをつぶやいてると不思議と心が浄化されるような気が・・・しませんけどね。
それでも私は仏教大好きなんですよ。
葬式や法事の時しかお世話にならないけど、それでもいいよ!って言ってくれてる器の大きいところがとても好きです。
同様に神道も好きなんですよ。
我が町には全国的にもかなり有名な神社があり、今はそれを訪れる観光客に若干ネガティブな印象を持ってますが、子供の頃は何人か集まると「お宮に行って遊ぼ!」ってことで野球をしたりクワガタを獲ったりしてましたし、ココもまた初詣の時しか真面目に拝まないのに、それでもいいよ!って言ってくれますからね。
ホント多神教の宗教は器が大きい。
さらに言えば岩や木や、山そのものが神を宿しているとか言われてる自然宗教も好きですねぇ。
これらの宗教は神仏に仕えるために修行を積むのでなければ、そんなに厳しい戒律なんかありませんし、よく考えたらお寺に行った後で神社に行くなんてこともOK!なわけですよね。
そして当然のことながら、不必要に多額のお金を集めたりしませんよ。
お葬式の時はちょと費用が掛かるけど、日本には香典という文化があるでしょ。
みんなが少しずつお金を出し合うことで、お葬式を出す家の負担を軽くするんですね。
法事はお葬式ほどかからないし、出席者はやはり少しお金を出すでしょ。
かかる費用って、後はお賽銭くらいですかね。
だから、その家が傾くほどに金品を要求する宗教っておかしいと思うんですよ。
そもそもコレは多神教でも一神教でもそうですが、そこに住む人たちのコミュニティを壊すようなことは本来の目的と違いますからね。
個人の財産を目当てに狙い撃ちする宗教なんていうものは宗教とは言わないのかもしれませんね。
宗教詐欺ってヤツですね。
お経をBGMのように聞きながらそんなことを考えてましたよ。
で、法事の後、今回は親戚などを呼ばなかったこともあり、実家ではオードブルを用意してくれてたので、ここぞとばかりドカ食いしちゃいました!
おかげで(?)着ていたカッターシャツのお腹の部分がパッツンパッツンになっちゃって(笑)。
その後帰宅して、お腹が苦しいから椅子に座ってボ~ッとしてたんですけど、人間の体の機能ってすごいですね。
なんか、全身の血が胃に結集したみたいで、手も足も力が入らず、頭もボ~ッとする中でお腹の真ん中だけが活発に動いてる感じなんですよ。
で、夕方になるとすっかり楽になっちゃって、バカだから今度はカニカマ炒飯を大量に作って食べちゃって・・・、只今絶賛消化中です・・・。
で、またまた椅子に座ってると手足の塚らが抜けて頭もボ~ッとしてたので、結局こんな時間になっちゃいました。
効率化とか言って人はいろんなことを考えますが、そもそも本能として備わってる体の機能こそ効率的なんじゃないの?って思うんですよ。
結局人間の社会が複雑になる(複雑にしてる)のに合わせられなくてこうりつかだ~!とかヒーヒー言ってるだけですよね。
あ、そういうことなら宗教も結局人間が作り出したものなんじゃ・・・。
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