みなさん、こんにちは。
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
うららかな陽気で2024年がスタートして、とっても気分が良かったので、二度寝しちゃいましたよ(笑)。
で、アレコレと書く内容を考えていたら地震が~!ってTVが言い出して・・・。
確かに震源地から遠く離れたところにいる私も椅子に座りながら「あっ、ゆれた!」って思いましたから。
ただ、震度の分布図を見たら、ほぼ本州全域に達してたでしょ。
あんなことあるんですね。
とにかくすごく大きな地震みたいなので、特に震度が大きかった地域の方々のご無事をお祈りしています。
しかし・・・、何も元旦に・・・それも夕方って・・・。
一番良くないタイミングで起きちゃいましたね。
最近地震多かったけど、なにもこんな日にって思うんですよ。
ツイッター等では人工地震なんて言葉が飛び交ってるみたいです。
信憑性はないんですけど、ただの陰謀論と決めつけるより、どうしてそんな言葉が出てきて一部では信じられているのかを考えるのはあっていいと思うんですよ。
それだけ自身の頻度が高いし、嫌なタイミングで起きてますからね。
それと、メディアが信用を失ってるっていうのも忘れてはいけません。
なんか、とんでもないスタートになっちゃいましたね。
さて、昨日までちょと気になる歴史上の人物紹介のコーナーをしてましたが、年も改まったので、歴史上の出来事でちょと気になってることを書いてみますね。
今日は日本の明治維新がどうしてあんなにサクッと決まったのかについて考えた時、主要メンバーが早々に歴史の舞台から退場してくれたからなんじゃないの?ってことについて。
コレは戊辰戦争のことだけを言ってるんじゃなくって、その後日露戦争に至る近代化がわずか数十年で出来た理由についての話です。
戊辰戦争については鳥羽・伏見の闘いで錦旗が薩長側に翻った時点で勝負ありでしたし、その後は掃討戦でしたからね。
日本は他の国と違って政権は変わるけど皇室(イギリスなら王室)はず~っと変わらないっていう特殊な国で、内戦はあくまで政権争奪戦だったんですね。
つまり天皇の信任を得て政権を委ねられる立場の争いなわけですね。
なので、当然。天皇が支持してるっていうのは正当性って意味でとっても重要で、朝廷内での工作に長けた薩長がコレを獲得したのもわかります。
実際、鳥羽・伏見の戦いは幕府軍の方が兵力は多かったし、火器など武装の面で薩長が有利だったって話もありますが、錦旗がなければどっちに転んだのかはわからなかったと思うんですよ。
で、戊辰戦争を乗り切ったところまではそれで良かったんですが、その後の改革はそれまでの社会を一変させましたからね。
封建制度の根本であった身分制度や藩を無くしちゃったし、貨幣も変えちゃったし、学制も税制も暦も・・・、あらゆるものが変わっちゃったんですよね。
この時代に生きてた人はさぞかし大変だったんだろうと思うんですよ。
鳥羽・伏見の戦いの前年である1867年に政復古の大号令がなされましたが、その後大日本帝国憲法の発布が1889年です。
22年・・・。
たった22年で様々な改革を断行して無理やり西洋列強に食い込んでいったわけです。
なんでこんなことができたのかっていうのが今日の本題なんですが、やっぱり維新の三傑と言われてた西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の3人が1877年から1878年にかけて相次いで亡くなったからだと思うんですよ。
3人とも40代でしたから、健康で何もなければあと10年、20年は仕事ができたはずです。
実際各種改革は彼らが存命中にほとんど実行(開始)されていました。
明治維新は何と言っても長州藩と薩摩藩を中心に行われ、この維新の三傑は特に人望の面で両藩の中心人物だったんですね(あ、大久保は人気がなかったかも…)。
なので、様々な改革を行うにあたって、どうしても矛盾や利害の対立があると思うんですが、この3人が居座ってる限りは力技で抑え込めたんでしょう。
でも、そういうある種のカリスマというか冒しがたい尊厳までまとったような維新最大の功労者が長くその座に居座ると人はそれに合わせて仕事をするようになるでしょ。
そうなってしまうと、後の伊藤博文も山縣有朋(この人嫌い!)も黒田清隆も大山巌も、さらには乃木希典や児玉源太郎や東郷平八郎もあれだけの活躍ができる人になったかどうか怪しいんですよ。
革命の指導者が結果として発生した矛盾と一緒に早々に退場するっていうのは、その後を担う人にとってこれほどありがたいことはないと思うんですね。
革命家はやっぱり革命家であって、必ずしも有能な政治家であるとは限りませんからね(大久保はひょっとするとって思うけど)。
維新の成功によって発生した矛盾、その最も大きな問題は旧士族の扱いだったと思われます。
全国の武士がそれまでの支配階級をなかったことにされちゃった上に、藩も解体され、刀も取り上げられ、この先どうやって生きて行けばいいの?ってなるのもわかるような気がします。
それでも幕府側だった藩はその前の戦争に負けてたので、その藩士たちを解散させ新たに軍や警察に編入しても素直に従ったんでしょうけど、問題は勝った側、つまり薩長を中心とした西国諸藩の旧士族です。
よく考えてください。
武士だったら、勝ち戦に参加したんだから当然恩賞があるでしょ。
それが武士はいらないよ~!とか刀は取り上げちゃうね~!とか藩はなくなるので自分の食い扶持は自分で何とかしてね!なんて言われたらキレちゃいますよ!
だからなんでしょうね、山口や九州各地で不平士族の反乱が起きちゃいました。
で、最期に西南戦争っていう日本最後の内戦が起きちゃいます。
木戸はその頃に病気で亡くなり、西郷は敗れて城山で自害、1年後に大久保は不正士族の残党に暗殺されます(紀尾井坂の変)。
様々な改革を断行し、あるいは道を示し、大きな問題を抱えてそれと一緒にいなくなってくれた維新の三傑は最後まで見事な仕事をしたと言えますね(大久保は?だけど)。
結果としてその次の世代が必死に背伸びして維新をやり遂げることができたわけです。
革命後、その首謀者がすぐに亡くなってしまった例はソ連でも見られますが、レーニンの後を受けたスターリンは自国民にとんでもない犠牲を強いるようになりましたね。
ソ連には政権の上に君臨する権威(日本の場合天皇陛下)がありませんでしたからね。
また、革命の首謀者がその後も長く君臨していた事例は中国の毛沢東を見ればわかります。
この人もまた、自国民にとんでもない犠牲を出しました。
彼らに対して歴史的評価は厳しいですが、ある意味どこでも起きそうなことなんであって、やっぱり日本の明治維新の方が珍しい成功例だと思ってます。
やがて維新の苦労を知っていた世代が退場した後、日本もおかしな方向に進んじゃいましたけどね。
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