みなさん、こんにちは。
初夢ってどのタイミングの夢をいうんでしょうね?
wiki選手を見ても「大晦日の夜から元日の朝」「元日の夜から2日朝」「2日夜から3日朝」の3つの説が混在するって書いてあるんですよ。
まぁ、夢を見なかったり覚えていなかったりすることもあるので、3回の猶予がるのはわかるんですが、コレ、いい夢だと決まったわけじゃないですよね。
決まってないから夢占いなんてのもできるんだと思うんですが、ほぼほぼ悪夢を見るのがわかってる状態だと初夢なんて見たくない!って思っちゃうんですよね。
あ、ほら、私、デエビゴっていう睡眠導入剤をいつも飲んでるんですけどね、この薬って副作用に悪夢を見るっていうのがあるんですよ(笑)。
いや、悪夢って・・・って思うじゃないですか。
でも、ホントに悪夢を見るんですよね。
で、年末からすごく気になったので、大晦日の夜と元旦の夜はルネスタって薬に代えてるんですよ。
おかげ様で夢を見ていません。もしくは覚えていません。
そして今夜、どうしよう?って思ってます。
初夢は見なくても大丈夫なんでしょうか?
どうなんでしょうね?
大丈夫なら今夜までルネスタにするんですけどね。
ただ、3日間夢を見ていないのなら3日と4日の間の夜も有効!なんて言われちゃうと困りますし・・・。
まさか初夢がこんなに私を苦しめるとは思わなかったんですよ。
それと、いきなりで恐縮ですが、昨日と今日のご飯はハンバーグにしてみました。
なんか肉をたくさん食べるのならハンバーグが良いんじゃないの?って急に思い立ったので大晦日に合い挽きのひき肉を200g買っておいて元日、玉ねぎやら卵白やら小麦粉やら入れてコネコネして作りました。
結果を言うと硬さはバッチリだったんですけど、コネコネしすぎたのか肉のポロポロ感がなかったのと味付けが薄くてなんか気が抜けたような感じだったんですね。
で、今日は昨日ローソンで買っておいた400円くらいのハンバーグを食べてみたんですよ。
美味しいんだけど、ガッツリ肉を食べてるような気分にはならないし、それなら2ケ食べればいいのかといえば味が濃すぎてそれはちょと無理!って感じでした。
というワケでハンバーグのつなぎは良かったので、次に作る時はもう少し味付けを濃くして、さらに細かく切った肉(バラ肉など脂が多い方が良いかも)も混ぜ込んでみようと思っています。
時間があって疲れていない時じゃないとできないけど、料理は楽しいですよね。
さて、今日もやってきました歴史上の出来事でちょと気になってることのコーナー!
今日取り上げるのは、日本から独立しちゃった政権のお話です。
昨日も書きましたが、日本の歴史って天皇家の存在はそれが実際に政を行おうと権威だけであろうと必ず国の頂点に君臨し続けてきたんですね。
ですから、誰が摂関政治をやろうと幕府を開こうと、あくまで天皇から信任・任命を受けて行っていたってことですね。
別の言い方をすれば、天皇の権威によって正当性を担保されてたとも言えますね。
この状況は中世ヨーロッパで各国の王や皇帝と言えどもローマ教皇を無視できず、一度破門を言い渡されちゃうと二進も三進もいかなくなったのに似ています。
そして、日本ではほとんどの歴史上の人物(その時代最強と言えども)がこの世界観から抜け出せずにいたことも事実です。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康だって御所だけは襲いませんでしたし、南北朝の頃も双方が天皇を立てて争ってましたよね。
確かに壬申の乱のように天皇の跡目をめぐって皇族が争うことはありましたが、天皇を最高権威としてる国とは別の国としてやっていこう!っていう事態は少なかったと思うんですよ。
さらに反乱や一揆の類はたくさんあったと思うんですが、これとそれとはちょと違いますからね。
今思い当たるものとして、平将門が新皇を名乗り関東一円に作った国と前九年の役の安倍氏の国、後三年の役の後の奥州藤原氏の国、そして戊辰戦争時の蝦夷共和国でしょうか。
国の根拠としては独自に税を徴収していたってことです。
とはいえ、平将門は新皇を名乗ってからわずか2か月足らずで戦死してしまいましたし、安倍氏も前九年の役の間徴税をしていただけですし、奥州藤原氏は完全に独立してたわけじゃないし、蝦夷共和国の場合、榎本武揚が便宜上というか苦し紛れに作っちゃった感はぬぐえません。
奥州藤原氏の場合だけが安定し長期間にわたって繁栄したんですが、おそらく朝廷に税は収めていたと思いますし、朝廷から派遣される陸奥守などを受け入れていましたからね。
ただ、この奥州藤原氏は独自に大陸と貿易したりして懐は暖かかったので、朝廷の命令に対して嫌なことはのらりくらりといなしながら中央の公家に豊富な金を握らせて済ませてたんでしょう。
う~ん・・・、どれもこれもきちんと独立して長期間政権を維持してきたわけではありませんね。
でも、私がこの立役者たちに驚嘆するのは結果ではなく、当時の固定観念というか常識というか・・・、だってうまくいかなければ即賊軍のレッテルを張られて終わりですからね。
そういうのを乗り越えることができたことが驚きなんですよ。
よく織田信長が固定概念にとらわれず、逆にぶっこわしたように言われますが、それはあくまで日本という国の中での話ですからね。
ですから、特に平将門と藤原清衡(奥州藤原氏初代)はその生い立ちからしてなんで?って思っちゃいます。
まぁ、自身も出世の糸口をつかむため京に上ったものの不首尾に終わり、さらに下総・常陸に広がった平氏一門の抗争に巻き込まれちゃって、もう、どうでもいいや!ってやけになったのかもしれません。
でも戦は強かったみたいで、最盛期には関東一円を支配したようです。
最終的には藤原秀郷と平貞盛との戦で討ち死にしちゃうんですが、ドラマなどにみられる民のために立ったというよりも、自分たちで好きなようにやりたかったんじゃないかと思うんですよ。
京の都で朝廷に疑問を抱き、両国に帰ってみれば一族で醜い争いを繰り返すうちに、こんなことしてるくらいなら、自分たちで平和に生きていける別の国をつくってもいいんじゃね?って感じで。
奥州藤原氏の繁栄を築いた藤原清衡は少し毛色が違うんですが、清衡の父親は平将門を討った藤原秀郷の子孫にあたる藤原経清なんです。
なんか因縁めいたものを感じますね。
で、この経清と安倍氏の娘との間に生まれたのが清衡になります。
安倍氏っていうのは当時俘囚と呼ばれていた大和朝廷の支配を受け入れた蝦夷の一族なんですよ。
つまり藤原清衡は大和朝廷の貴族と俘囚の間に生まれた子ってことになります。
ちなみに父親の経清も前九年の役では安倍氏側について朝廷に反旗を翻した人物でもあります。
何となくその生い立ちから彼が奥州で独立勢力を築こうとしたのはわかるような気がしますね。(さっきはなんで?って書いたけど・・・)
将門と違って、清衡はそもそも天皇を頂点とする大和朝廷にありがたみも何も感じていなかったんだと思います。
それでも過酷な前半生を生き抜いた経験から、ひどいリアリストになっちゃった清衡は表向き朝廷に服属してる体をとっておいた方が良いよね!って思ったんでしょう。
当時の奥州には砂金と馬がありましたから、それをうまく使えば朝廷の庇護なんか受けなくってもじゅうぶん自立していけますからね。
歴史を見ていると、たまにその当時の価値観や既成概念にとらわれない人が現れます。
その人たちの考え方の方がたぶん現代の我々に近いと思う分、当時はひどく生きにくさを感じていたんだろうなぁって思ってます。
そう、それはローマ教皇の権威が頂点に達した時の神聖ローマ帝国の皇帝だったフリードリヒ2世のように。
まぁ、ヨーロッパにはルネサンスがあり、宗教改革もあったのであまり目立ちませんが、日本は明治維新を迎えるまで基本的な価値観はあまり変わらなかったので、その分探してみれば他にもそういう時代を突き抜けた価値観の持ち主は見つかるのかもしれませんね。
こんど、探してみることにしますね。
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