さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

たぶん、エゴに支えられてたって側面も・・・。

 みなさん、こんにちは。

 

 起きた時から肩が痛くって・・・。

 たぶん今年一番の痛さだと思うんですよ。

 いつもの右肩は痛みだけでなく痺れまで出始めて、左肩も背中も痛い。

 ・・・あっ、コレって筋肉痛を併発してるなぁって思うまでしばらくかかっちゃいました。というのも、昨日とうって変わって天気が悪くなったので、そのせいなんじゃないかとも思ったんですよ。

 気圧が下がると片頭痛に良くなるんですが、それと同じなんじゃないかって。

 にしても頭は痛くなかったし、よく考えたら昨日実家で作業してたんですよね。

 今日も午後から作業の予定でしたが、あいにくの天気で中止になりました。

 この天気の悪化が良かったのか悪かったのかさっぱりわかりませんが、とりあえず雷さんには早々に引き上げてほしいんですよ。

 で、今年を振り返るのは・・・、明日からにしようと思ってます。

 明日になれば昨年は~!ってことになりますが、とりあえず大晦日って何もしないくせに気ぜわしくなりがちですからね。

 明日からまだ4日間休みがあるので、それだけあればゆっくり考えられるでしょ。

 今日はこの後体調をみながら掃除をして夜は実家でおよばれしてきます。

 うんうん、それでお正月を迎えられますね!

ってあっ、プ、プリンターの箱が・・・。

 お、怒ってるよね・・・やっぱり・・・。

 

 さて、なぜか始めたちょと気になる歴史上の人物紹介のコーナーですが、今日は中国明末の武将袁崇煥(1584年~1630年)を取り上げます。

 袁崇煥?・・・誰それ?って半年前の私もそんな感じでした。

 今の中華人民共和国は大嫌いだけど、中国の歴史は好きっていう人は多いと思うんですが私もその端くれなんですよ。

 でも、どっちかというと古代の方に興味があって三国時代が晋によって統一されて以降の歴史はあまり興味がなかったんですよ。

 なので、この袁崇煥は最近ユーチューブのゆっくり系の歴史解説チャンネルで知りました。

 略歴は35歳で科挙に合格し、地方役人を務めた後、当時明と戦争状態にあった後金(後の清)との最前線に送り込まれます。

 ここには山海関と呼ばれる防衛拠点があり袁崇煥はその外郭として寧遠城を築城して防衛にあたりました。

 後金は建国の英雄ヌルハチが大軍と共に押し寄せてきましたがコレを撃退し、息子のホンタイジの軍も撃退します。

 寡兵でありながら味方の士気を鼓舞し、最新の大砲をうまく使い、彼が守りを固めている間は後金の侵攻は完全に阻まれていましたが、ホンタイジは明の宮廷にスパイを送り高官を買収して袁崇煥が謀反を企てているという噂を流布しそれを真に受けた崇禎帝は北京防衛に戻っていた袁崇煥を捕え処刑(凌遅刑)してしまったんですって。

 享年46歳。科挙に合格し役人になってからわずか11年でした。

 ちなみに彼の死の14年後に明は滅亡します。

 中国の王朝が交代する時ってそれが禅譲であっても放伐であっても必ずその前段階で王朝内の腐敗ってのが起きますね。

 ホントに嫌になるくらいに。

 遡っていけば南宋時代の岳飛もそうですし、今大人気の漫画キングダムに登場する趙の李牧もそうです。

 彼らはみな国の滅亡を食い止めるべく全身全霊で事に当たりますが、その救いたいはずの国は彼らを無残に裏切りますね。

 袁崇煥岳飛も李牧も高官にそそのかされた君主によって捕えられ刑死しています。

 国の存亡などよりも自分の保身にしか興味がない者とそうした者の言うことを疑うことなく信じてしまう愚かな君主。

 こんな連中のために優れた人が命を落とすことないのに!ってよく考えちゃうんですが、歴史は残酷な死を繰り返しますね。

 それがどうしてなのかははっきりとはわかりません。

 腐敗していく人たちの気持ちなんかわかりたくもありません。

 でも、例えば袁崇煥は北の関にこもって戦っていた時、何らかの希望を持っていたのかどうかって考えると何となく微妙なんですよねぇ。

 だって、皇帝とその周囲にいた高官が腐っていたのはわかっていたと思うんですよ。

 それでも必死に防衛に勤めたのは、言葉は悪いんですが、ある意味エゴに支えられていたんじゃないかと思うんですよ。

 正しいとか間違ってるとか、共感が得られるとか得えられないとかどうでもよくって、ただそれをやるのみ!みたいなところがあったと思うんですね。

 亡国を必死で支えた忠臣っていうのは大なり小なり必ずこれを持ってるような気がします。

 だから、処世に不器用で、結果的に国が亡ぶより先に自分が・・・ってことになっちゃうんだろうなぁって・・・。

 そして、だからこそ涙を禁じ得ないんですよねぇ。

 3日間取り上げた人物(山中鹿之助ジャンヌ・ダルク袁崇煥)は短い期間に強い光を放ち、悲劇的な最期を遂げる点で共通してますが、同時に信仰や野心や忠義などに支えられてその意思がまったくブレない人達でもあります。

 歴史を眺めていると、こういう人はたくさんいて、すごいなぁって思うだけじゃなく、なんかうらやましいなぁって思ったりもします。

 いろんなものに囲まれて、選択できるものがたくさんある現代の方が良いに決まってるって思いながらも、一度の人生を脇目もふらず一つのことに没頭できるのは最後の時の迎え方もまるで違ってくるような気がしますからね。

 まぁ、だからと言って今、どうこうしようっていうんじゃないんですけど。

 歴史の楽しみ方として、そういうのはあってもいいと思ってますよ。

 

 

 今年1年、お付き合いいただきありがとうございました。

 来年もどうかよろしくお願いします。

 そして、みなさんにとって良い年になりますように。

 

 

 

 

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