みなさん、こんにちは。
一週間ぶりに土鍋でご飯を炊こうと思い、米をといで、ハッと気がついたら電気炊飯器のタイマーをセットしようとしていたんですよね。
といだ米はしっかり水の量も測って電気炊飯器の釜に入れてありました。
なんでこんなことしてるんでしょうね?
土鍋で炊こうと思っていたのに・・・。
ついさっきまで思っていたことをきれいに忘れてしまうようになっちゃった?!
それが軽~くショックだったので、その時のことを思い出してよく考えてみたら、米をカップで測って米とぎ用のボウルに入れたところまでは良かったんですが・・・、あ、そうだった!ウルトラマンレオの主題歌ってどんなだったけ?ってそっちの方に意識が行っちゃってました。
で、思い出してうれしくなっちゃって「宇宙にきらめくエメラルド~♪」とか口ずさんでるうちに、いつもやってるような感じで電気炊飯器にセットしてしまったんですね。
これって、やっぱり物忘れですかね?
それとも別のことに気が行ってしまう、つまりわき見運転みたいなものなんでしょうか?まぁ、どっちにしても褒められたことではないんですが、あれこれと思い悩むのも煩わしいので、気にしないことにしますね。
さて、TVでは世界的に水不足になってるよ~!って言ってますね。
中東や中国では大干ばつが起きていて、大変なんだそうですが、相変わらず気候変動が~!っていう話になってますね。
私、おさるのおつむなので、今まで半導体不足ってコロナ禍から脱した世界で急激に需要が高まったためだと思っていたんですが、なにやら半導体製造の一大拠点でもある台湾でも大干ばつが起きていて、製造に必要な水が確保できないから減産せざるを得ないんだって言ってましたね。
で、この番組で面白いことを言ってたんですが、世界が環境問題に注目するようになったのは、冷戦が終わり第三次世界大戦の危機が無くなって、さて人類の敵はナンジャラホイ!?ってなったからなんですって。
まぁ、解説の方は平和になることで世界は地球規模で環境について考えることができるって言いたかったみたいですね。
でも、今、平和じゃないですよね。
それに、さっきの水不足の件ですが、島国の日本はよくわからないんですけど、地続きの国同士って、川の上流をおさえてる国がダムなどで堰き止めちゃうもんだから、国家間の争いにまで発展しそうなんですって。
また、中国では人工降雨っていって雲の中にミサイル撃ちこんで雨を降らすなんてこともやってるそうですよ。
なんかメチャクチャですよね。
あ、でもそんなことができるんなら、前も書いたように二酸化炭素を吸って別のもの(環境に影響のないものなら何でもいいんですが)に替えちゃう装置を作ればいいのにって思うんですが、やりませんよね。
それどころか二酸化炭素を吸ってくれる山や森林を破壊してる有様です。
要するにいかに儲けるネタをたくさん作るのかが目的だとしか思えないんですよね。
違いますかね?
で、その番組で解説の人が先ほど触れたように冷戦が終わったことで環境問題への取り組みが盛んになったと言ってた上に、今はウクライナの問題やそれに纏わる食糧危機も叫ばれてると言いながら、やっぱりカーボンニュートラルだよね!って言ったのには驚いちゃいました。
まず戦争やめさせるのが先だろうに・・・。
まぁ、どうしてもそっちの方に持って行きたいんでしょうね。
別にいつものことなので慣れちゃいましたよ。
またまた前置きが長くなっちゃいましたが、今日は坂上田村麻呂(758年~811年)のお話を少しだけ・・・。
日本古代史上屈指のイケメン候補です。
この人の前にも就任した人がいるとかいないとか言われていますが、その当時は征東大将軍とか征夷将軍とか征東大使とかいろいろあったみたいで、確実にしかも2度も征夷大将軍に任命されたのはこの坂上田村麻呂だけじゃないのかな?
あ、元々征夷大将軍っていうのは臨時職で、必要な時だけ任命されるものだったようですよ。まぁ、田村麻呂は生涯その称号を身に帯び続けたようですが・・・。
大まかにやったことを言えば征夷大将軍として蝦夷を征討に成功し、その後は順調に出世して大納言の時に薬子の変を鎮めたこと、くらいでしょうか。
この人は4人の天皇に仕えて、忠節を尽くし、政争に巻き込まれることなく穏やかな死を迎えたようです。
亡くなった後、その死を悼むとともに王城鎮護とたたえられ立ったまま棺に納め東の方(蝦夷の方角)を向けて埋葬されたそうです。
すごいでしょ・・・、あ、メジャーじゃないですかね?
じゃ、じゃあ、もう一つ、
この人の家系は中国の後漢の霊帝(ちょと残念な皇帝)につながるそうで、渡来人の一族だったようです。
元々武芸に秀でた人を輩出したことから田村麻呂の父親の苅田麻呂の代で公卿に列せられたようですね。
・・・、あ、やっぱりダメ?
一応奈良時代を代表する大スターのはずなんですが・・・。
ではもう一つ。
蝦夷征討は桓武天皇の時に3回(4回目は中止になっちゃった)行われましたが、田村麻呂は2回目と3回目に参加し、2回目の途中から実質的に征討軍とその地域の軍政のトップになっています。
その時の役職名が「征夷大将軍近衛権中将陸奥出羽按察使従四位上兼行陸奥守鎮守将軍」なんですって。
長いでしょ。
まぁ、長いのはいいとして、この長~い肩書を持つ田村麻呂は蝦夷の首領だった阿弖流為と母禮の降伏を受け入れ都に連れて行きます。
この蝦夷征討はゲリラ戦を仕掛ける蝦夷軍に対して戦闘で優位を占めた後拠点を作ることで対抗した朝廷軍という構図で進められ、蝦夷軍はどんどん追い込まれていったんですね。(本当は大和朝廷が侵略していったんですけどね)
で、蝦夷の首領を都(平城京ですね)に連れて行くにあたり、田村麻呂は彼らを元の地に戻し、彼らをもって朝廷に臣従させようと思っていたようなんですね。
現にそうしてほしいと朝廷に頼んでもいましたからね。
つまり田村麻呂は現地で戦の指揮をとること十数年に及ぶなかで、彼らを野蛮人と見下すのではなく王化の風に触れることで蝦夷などではなく大和朝廷の民とすることをもくろんでいたような気がします。
長年戦い続けることで敵を理解し、その可能性に気づいていたんでしょうね。
これだけでも当時の都人の中では珍しいと思うんですよ。
でも、それは天皇とその周囲を固めていた公家達には理解されず、阿弖流為と母禮は河内の国で処刑されちゃいました。
どこもかしこもバカばっかりです!
その時の田村麻呂の心境はどうだったのか?
それを推し量るだけでも胸が痛みますね。
奈良時代や平安時代がどうしてこう暗い印象が漂うのか・・・、何となくわかるような逸話です。
とにかく、武芸をもって朝廷に仕えた田村麻呂ですが、決して狂信的な殺戮者ではなかったってことですよね。
ねっ、すごいでしょ!
・・・、まだダメなんでしょうか?
う~ん、じゃあ、これ最後ですからね。
坂上田村麻呂が活躍していたころからおよそ800年後の奥州に独眼竜が現れますよね。ご存じ伊達政宗です。
彼の正室の愛姫っていうのは田村家の出身で、この田村家っていうのは坂上田村麻呂の末裔だと称していたそうです。
因縁ですかね。
あまり関係ないし、どうでもいいことでしたね・・・。
日本の古代史ってよくわからないところが多いし、とにかく朝廷内での権力闘争ばっかりであまり楽しくないというか、華々しさに欠けたちょと暗い印象なんですよね。
でも、この坂上田村麻呂や吉備真備などのようにちょいイケメンな人物もいますから、今後も調べてみようと思うんですよ。
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