さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

733 私は諸葛亮孔明が好き・・・⑤

 みなさん、こんにちは。

 

 三国志軍紀物なのでそこで1番活躍するのは武将達ってことになります。

 その武将についても最前線で兵を鼓舞し自ら槍を振るう者もいれば、本陣奥深くに鎮座し、指揮を執る者もいますね。

 どちらもメリットデメリットがあると思うんですが、三国志って前半は前者、後半は後者が軸になっているんじゃないのかなって思います。

 そして三国志後半の主人公といってもいい我らが諸葛亮孔明はかなり極端な後者になりますね。

 あんな車椅子に座って前線に出てこられても、周りの兵たちは困っちゃいますからね。

 で、その孔明が残りの人生をかけて臨んだ北伐ですが、それに立ちはだかったのもまた同じく本陣奥深くにいて指揮を執る司馬懿だったというのも、三国志後半の印象を決定的なものにしてますよね。

 もっとも、双方の軍の規模が大きくなってますから、どうしてもそうなりますよね。

 数十万の軍勢を張飛みたいなのが率いていたら、大勝するか大敗するかどっちかになっちゃいますからね。

 う~ん、そう考えると、時代は少し違いますが、楚漢戦争の時の項羽の強さっていったい何だったんでしょうね?

 三国志における個人の戦闘力のトップは関羽張飛を抑えて断然呂布だと思うんですが、項羽の強さはスケールがまるで違います。

 項羽は軍の先頭に立って敵陣に突撃しちゃうような人ですが、彼と、彼の率いる軍団の破壊力は常軌を逸しているといった感じです。

 実際、鉅鹿の戦いや彭城の戦いでは10倍もの敵に突っ込んで行って勝ってます。

 国士無双と言われた韓信項羽と直接対決はしたくなかったでしょう。

 いやぁ、つくづく思うんですよねぇ。

 項羽とまではいかなくても、関羽張飛など五虎大将軍に匹敵する勇将が北伐当時の蜀軍に数多くいてくれたらなぁって・・・。

 えっ、魏延?・・・まぁ、他に人がいませんでしたからねぇ。

 このブログによくコメントをくださるbollaさん(いつもありがとうございます!)のお話を読んでいて、ハッと気づいたんですが、孔明率いる蜀軍に魏延を上回る勇将が現れなかったのは決して偶然ではないんじゃないの?って。

 もちろん、三国志前半のように大小数多くの勢力が乱立している頃と違い、魏・呉・蜀の3つの陣営に集約されていた時期でもあり、軍の規模が大きくなりますから、中途半端な戦闘力では話になりません。

 それこそ先ほどの項羽や、同時代の呂布関羽張飛といった、そこにいるだけで味方は奮い立ち、敵は恐れおののくような武将でなければならないと思うんですよ。

 そういう武将が孔明の元では育たなかったし、その後も現れなかったような気がしてならないんですね。

 では、どうしてそうなっちゃったのか?

 一つは先ほどから書いてるように軍の規模が大きくなるにしたがって、武将が個の力を発揮できる場が減ったことがあると思われます。

 100人や1000人規模の戦いであれば、その中でポンポン敵兵を倒していく武将の姿は極めて目立ちますが、10万人規模の戦いでそれをやったとしても、局面を変えるようなことにはなりにくいでしょ。

 呂布関羽張飛など、あ、魏には張遼っていう武将がいましたね。

 ちなみに、しつこいようですが項羽は別格ですよ。

 こういう人たちは旗揚げ当時の小規模な戦いを積み重ねる中で、評判や噂話が尾びれや背びれに胸びれまでつけて広まっていったんだろうと思うんですよ。

 ですから実際の戦場での勇猛果敢な戦いぶりに加えて、オーラみたいなものを周りの敵味方の兵は感じていたとも思われます。

 ところが、三国鼎立のころにようやく世に出た武将たちは、なかなかそうはいきませんよね。

 100人規模の戦いで10人を斬ったといえばすご~い!ってなりますが、10万人規模の戦いで10人斬ったって言っても、・・・だから何?って言われるだけですよ。

 めぐりあわせの問題とはいえ気の毒なことです。

 もう一つ、蜀に小粒な将しかいなかった理由を考えると、それは総司令官が孔明だったからだって思うんですよ。

 孔明馬謖を斬ったことからもわかるように、きわめて軍師らしく軍紀を重んじます。

 そして規律を重視し、戦闘力より有利な地形で戦いができるよう機動性を重視します。

 もし、私が仕官して一軍を任せてもらえたとしても、基本的に孔明の指示に対して忠実に動きますよ。

 敵に挑発されても、手柄をあげる格好の機会に巡り合ったとしても、まずは孔明からの指示を守ります。馬謖みたいに処刑されたくないし、魏延みたいに疎んじられたくもありませんからね。

 そんな風にやってれば、とりあえず孔明の指揮下では順調に出世できますし、基本的に孔明の指示は的確なので、命を落とす危険も低いでしょ。

 でも、応用は利きませんよね。

 北伐は司馬懿が魏の総司令官になってからというもの、基本的ににらみ合いが続くんですが、稀に乱戦になることもあったようで、小説の中で司馬懿も軍を進めたところ、孔明の罠だと気づき、あわてて引き返しますが、かなり危うい状況に陥っちゃったことがありました。

 その時、逃げ道が二つに分かれていて、司馬懿はとっさにかぶっていた冠を外し、一方の道に捨てます。そして自身はもう一方の道を通って逃げていきます。

 司馬懿を追いかけていた廖化という蜀の武将は、司馬懿の冠を見つけ、迷わずその道を進んでいくんですが結局司馬懿を取り逃がしてしまいます。

 そりゃそうですよね。

 別の道を通って逃げたんだから。

 で、この廖化君ですが、陣地に帰ってきてから司馬懿の冠を自慢げにみんなに見せびらかしていたそうで、それを見た孔明はただただ寂しく感じていたんだとか。

 関羽趙雲なら、冠を見てなんか怪しいよね!って思い、もう一方の道を進んだかもしれないし、結果として取り逃がしたんだから、張飛辺りはその悔しさにヤケ酒飲んで、ひと暴れしていたかもしれません。

 武将の質の低下、プライドの低下はシャレにならない状況だったんでしょう。

 でもね、廖化君にしてみれば、そうなりますよ。

 関羽張飛趙雲も、孔明劉備に仕えるはるか以前から劉備と苦楽を共にしていた宿将ですし、彼らは成功や失敗を含めて豊富な経験を積んでいましたからね。

 卵が先かニワトリが先かって話になりますが、勇猛で有能な武将がいなくなったから、規律と機動性を重視したのか、規律と機動性が重視される蜀軍だから、それにフィットした小粒な武将がそろっちゃったのか・・・。

 矛盾するようですが、私は孔明関羽張飛みたいな武将を欲していたと思います。

 でも、当時の蜀にはそんな余裕はなかったんでしょう。

 関羽張飛のような、ある意味マニアックで、キャラの強い人を育てるためにはそれなりに場数を積ませる必要がありますからね。

 しかし、孔明が企てた北伐はそもそも大敗などしてはいけませんからね。

 軍が消滅し、あろうことか孔明自身が戦死などしようものなら、雪崩を打って魏軍が蜀の首都成都に押しかけてきちゃいます。

 こんなことを言っては何ですが、劉備が新野一城の主だった頃や、その後逃げに逃げて夏口にいたころの方が、守るものがない分身軽だったのかもしれません。

 やけのやんぱちって言ってもいいくらい・・・。

 それに、やはりこのころの劉備軍の方が陣容としてはほぼ完璧だったんですよね。

 何となくいい人っぽくて、器が大きい劉備がいて、その周りを獰猛な肉食獣のような武将が固めており、そこに秩序と規律と軍略を与えた孔明がいましたからね。

 勢力としてはほぼほぼ絶望的な劉備軍でしたが、逆にそのポテンシャルは非常に高かったようで、事実、それから十数年で勢力は何倍って言いようがないくらい大きくなります。

 孔明のお話をする中で、くどいくらい述べていることとして、結局孔明の軍略は劉備と獰猛な仲間たちがいることで初めて生きるものだったんでしょう。

 それが劉備も、獰猛な仲間たちもいなくなっちゃったら・・・。

 そしてそのことを一番理解していたのに、結局それを克服できなかったのが孔明だとしたら・・・。

 そんな状態で行われた北伐ですが、前回は第一回の北伐について書きました。

 次回は第二回以降の北伐について書きますね。

 ちなみに、私は孔明の次に張飛が好きなんですよ。

 なんか人間臭くていいでしょ。

 人間の悪いところをたくさん持ち合わせながら、圧倒的な武力と劉備への不動の忠誠心でバランスをとってる面白い男です。

 いつか彼についても書いてみたいんですが・・・、案外これで十分なのかもしれませんね(笑)。

 

 

 

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