さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

845 結局イケメンの悪口になっちゃった・・・。

 みなさん、こんにちは。

 

 車のテールランプ(ブレーキランプ)が切れちゃったので交換しました。

 ユーチューブとアマゾンがあると何でもできるような気分になりますね。

 ネットで型式が合う電球(今回はLEDにしました)を調べて、アマゾンで購入し、ユーチューブでその方法を見て作業したんですが、ネジを外してもなかなかカバーが取れなくて、力任せに取ろうとするとペキッとかいうもんだからおっかなびっくりでした。

 まぁ、時間はかかりましたが、何とか交換完了して、ウキウキしながらLEDが入っていた袋を見るとMade In Chinaの文字が・・・。

 まぁ、仕方がないのかなぁ・・・。

 安かったし・・・。

 それはそうと、こういう作業って基本的に自動車修理工場やガソリンスタンドなどにお願いしますよね。

 自分でいろんなことができるのはいいことなんでしょうし、今回は趣味の延長でやったようなものなので別に問題ないんでしょうけど、仕事や大事なことは基本的に専門の人や経験豊富な人に任せた方がいいですよね。

 そうやって世の中はうまく回ってますからね。

 でも、中には何でもかんでも口出ししないと気が済まないような人もいるわけで、ヒトラースターリンみたいな独裁者もそうだったんだろうと思いますし、アメリカのカーター大統領もそんな風だったって聞いたことがあります。

 私が好きな諸葛亮孔明もこと政治や軍事に関してはそんなことまで関わらなくてもいいんじゃないのっていう些細なことまで決裁していたそうです。

 まぁ、それもあって孔明は寿命を縮めちゃったんじゃないだろうか?て思うんですけどね。

 とかく能力が高い人や、能力が高いと思ってる人って、アレコレやろうとしてしまいがちですが、今日取り上げる人はどっちかというとお任せしちゃうタイプの人なんです。

 

 前回はイケメンであろうと思われるスキピオ君でしたが、今回は正真正銘のイケメンなローマ人のアウグストゥス(紀元前63年~紀元14年、本名ガイウス・ユリウス・カエサルオクタウィアヌス、帝政以降はインペラトルカエサルアウグストゥス)です。

 名前が長い上に途中で変わるのでここではアウグストゥスで通しますが、世界史の教科書では必ず出て来る人ですね。

 いわゆる帝政ローマ創始者、初代皇帝のアウグストゥスです。

 彼の像はたくさん残っていますが、どれもこれも若いころのものでイケメンですね。

 母親がかの有名なカエサルの姪でした。

 父親は騎士階級っていうお金持ちの平民に属していたようです。

 カエサルが暗殺されたとき、まだ18歳でしかなかったアウグストゥスですが、カエサルの遺言書に彼を後継者に指名されていたことからその人生がガラッと変わっちゃいましたね。

 歴史の表舞台に登場してからは、若者とは思えないしたたかな処世術を展開し、第二次三頭政治を立ち上げ、カエサルの敵討ちを果たし、アントニウスプトレマイオス朝エジプトを滅ぼし、ローマの内乱を終結させます。

 カエサルの暗殺からエジプトを降してローマに凱旋するまでの期間は約15年、アウグストゥス18歳から33歳までの間のことでした。

 若いでしょ。

 で、この早熟の偉人はイケメンなくせに戦いになるとお腹が痛くなっちゃうんです。

 ですから、戦闘指揮はもっぱら盟友のアグリッパが務めました。

 それはもう、丸投げですよね。

 それは政治・外交を受け持ったマエケナスも同様だったようですね。

 大まかな方針はアウグストゥスが決めるものの、実際にそれを行うのはこの信頼できる腹心たち、で、本人は体調の維持に専念していたと思われます。

 お腹痛くなっちゃいますからね。

 どうも生まれてから体が弱かったようで、とりわけ消化器系はダメだったそうです。

 ですから、彼が全部やろうとしなかったのは、やろうとしてもできなかったって言った方が正確なのかもしれませんね。

 まぁ、やらなくって正解だったというか、戦下手だし特別しゃべるのがうまいわけでもないし・・・。

 ただ、権威と優れた頭脳と継続する強固な意志の持ち主だったことは確かです。

 そして、アウグストゥスっていう人は、共和政のローマを事実上の帝政に移行させたとんでもなくすごい人なんですが、私、そうするしか生きていく道はなかったんだろうなぁって思うんですよね。

 それもこれも、すべてあのカエサルの遺言書のせいですよ。

 もちろん、カエサルだって、あんなところで自分が暗殺されるなんて思っていなかったでしょう。

 ちょうど、ポンペイウスとの抗争が終わり終身独裁官としてパルティア遠征をしようと思っていた矢先でしたからね。

 あと、10年、20年は自分がローマを率いて体制を固め、それをほどほど大人になったアウグストゥスに継いでもらおうって思っていたはずです。

 でも、実際は18歳でカエサルの後継者になっちゃいました。

 もし仮に、私には荷が重いので辞退しま~す!って言ったらどうなっていたか?

 たぶん、その後、彼は生きていなかったと思います。

 本人がどう言おうと、カエサルが後継者に指名した事実が重要なのであって、それは他に野心を持つ者からすればやっぱり邪魔ですし、あるいは彼を神輿に担いでなんて企むものも出ないとも限りません。

 どの方面からも厄介で危険な存在になっちゃいましたからね。

 絶対心の中で「あのハゲの大叔父のヤツ(あ、カエサルのこと)、とんでもないことをしやがって!どうしてくれんだよ!!!」って思った瞬間があったはずです。

 カエサルはその戦争と権力闘争の中で、ローマはいい加減に一人の人間によって統治されないとどうにもならなくなっちゃうよ~!って気付いていたんでしょうね。

 それと本人の野心が結びついていたんじゃないかと思うんですが、アウグストゥスの場合はおそらく自分の命を守るためにとった行動がカエサルの描いたローマをの実現に結び付いたような気がするんですよ。

 ですから、カエサルがしたような終身独裁官就任のようにわかりやすい権力の一極集中という形はとらず、あくまで名目上、建前上は自分はローマ市民の第一人者でしかないんだよ~!っていうことにしたんでしょう。

 でも与えられた権力は皇帝と呼ばれてもおかしくないくらい強大でしたけどね。

 この建前へのこだわりがアウグストゥスの特徴でもあり、18歳から75歳で死ぬまで演じ続けてきた役でもあったんでしょうね。

 彼自身も晩年には自分の人生を喜劇に例えていますからね。

 アウグストゥスの業績を細かく数え上げればきりがありませんが、内戦の終結と帝政による効率的な帝国運営の開始っていうことなんでしょう。

 パクスロマーナですね。

 それを成し遂げたアウグストゥスはとても聡明で冷徹な人だったと思いますし、自分の長所も短所も客観的にみることができた人だったんでしょう。

 自分はイケメンであることも、体が弱いことも、戦に弱いことも、演説がうまくないことも、カエサルの血筋であることも・・・。

 そしてもう一つ言えば、目的のためには平気でウソをつくとまでは言いませんが、妥協や偽善など気にもしなかったように思うんですよ。

 この人の私的(皇帝なので指摘も何もありませんが)なエピソードとして、最期まで連れ添う3番目の妻リウィアとの結婚がありますね。

 第二回三頭政治を行っていた当時のアウグストゥスの権威は非常に高くなっていましたが、その彼はなんと人妻を略奪婚しちゃいます。

 相手のリウィアも無理やりにっていうわけでもなく、二人は相思相愛だったようですが、リウィアには夫がいましたからね。

 その夫の名をティベリウスクラウディウス・ネロといいます(必要???)。

 さらにこのネロとの間にはすでにティベリウス(2代目の皇帝)っていう男の子がいましたし、リウィアのお腹には後にドルススと呼ばれる男の子がいました。

 で、イケメンのアウグストゥスは夫のネロに直談判し(一説にはマエケナスが交渉したとも…)、ドルススを生んだ後で離婚し、アウグストゥスとリウィアは晴れて結婚となったそうです。

 子供たちもアウグストゥスが引き取ります。

 でも、その結婚式に前夫のネロも参列したとか・・・、なんかひどいでしょ。

 で、話はここで終わりません。

 自分はこんなことをしておきながら、後にユリウス姦通罪・婚外交渉罪法、ユリウス正式婚姻法なんてものを作っちゃいます。

 まぁ、ユリウス正式婚姻法は結婚した方が得だよ~!っていう法律なんですが、何と言ってもユリウス姦通罪・婚外交渉罪法が問題です。

 これ、日本にあった姦通罪と同じようなもので、もちろん既婚者が別の人と性的関係を持つことを禁じているんですが、男女の扱いが不平等なんですね。

 女性は自分が既婚者であっても独身であっても相手が既婚者なら罰せられますが、男性の場合、自分が既婚者であっても相手が独身女性であった場合、無問題です。

 歴史的に考えると、紀元前後にこういう法律ができるっていうのは画期的なことなんですが、やっぱりフェ、フェ、フェミの方々は怒っちゃうんでしょうね。

 一応、アウグストゥスの言い分としては秩序の安定化と道徳の確立を試みたそうなんですけどね。

 お前がするか!って話です。

 でも、コレってまだ続きがあって、イケメンの(しつこいのは嫉妬してるからじゃ…)アウグストゥス君はよりによって腹心のマエケナスの奥さんと関係があったそうなんですよね。

 ・・・、アレですね。イケメンってヤツはいつの時代もろくなことをしませんよね!

 まぁ、話がそれちゃいましたが、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスっていうのはそういう人なんですね。

 態度や言動は謙虚で慎み深さを感じさせるその裏で、すべてのローマ市民を睥睨し、私の真意などお前たちには到底わかるまい!と思っていたような人。

 それは彼が構築したのが「プリンキパトゥス (元首政)」と呼ばれ、後の「ドミナートゥス (専制君主制)」とは建前上違うんだよ!って言うことからもわかります。

 彼の言葉によれば「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」なんだそうです。

 何を言おうと、皇帝としての実際のパワーは変わりませんからね。

 この人はとてもすごい人だったけれど、お友達にはなりたくない人ですよね。

 イケメンだから言ってるんじゃないんですよ。

 ましてや友達の妻に手を出すような・・・ブツブツ。

 

 

 

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