さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

824 変わり者って言われてもいいもん!

 みなさん、こんにちは。

 

 支持率ってそんなに気になりますかね?

 そんなもん気にしてたら何もできないし、そもそもその支持率ってメディアの世論調査ですよね。

 そんな当てにならないものを気にしてる時点で、終わってますよ、ふみきゅん。

 昔、支持率どころかローマ教皇から2回も破門されたにもかかわらず、だから何?と好き勝手にやってた人がいました。

 しかもその人、神聖ローマ帝国の皇帝だったんですよね。

 神聖ローマ帝国っていうのはちょとわかりにくい存在で、最初の方は一つにまとまった国だったけど、だんだん封建化が進むにつれて、諸侯の代表みたいになっていきます。やがて、ハプスブルグ家による世襲が行われるようになりますが、それは今回は関係ないんですよ。

 今回取り上げるローマ教皇に2回も破門されちゃった皇帝っていうのはホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世(1194~1250)です。

 ホーエンシュタウフェン朝とか書くからわかりにくくなるんですよね。

 まぁ、オットー1世(912~973)を神聖ローマ帝国最初の皇帝とするなら、その帝国が誕生してから250年くらい経ってから現れた皇帝ってことになりますかね。

 で、このフリードリヒ2世なんですが、どうして破門されちゃったのかというと、最初の破門は十字軍に行くって約束しながらなかなか行かなかったから。

 2回目は教皇と対立しちゃって、前の破門の解除を取り消されちゃったから・・・。

 あ、あのう、神聖ローマ帝国の皇帝っていうのはローマ教皇に皇帝冠を授かって初めて名乗れるはずなんですが・・・。

 な、何やってんの!フリードリヒ君!って思っちゃいますよね。

 当時のヨーロッパはローマカトリック教会を頂点としたキリスト教社会で、一般人が破門なんてことになると死刑宣告と同じくらいの破壊力だったんですね。

 諸侯や王にしても、その家来は破門されたような主には従う義務を負わなくなるので、商売あがったり状態になっちゃいます。

 はっきり言って支持率の上がり下がりなんていう次元の話じゃないんですね。

 歴史の授業でカノッサの屈辱といえば時の教皇の力を示す事件として有名です。

 そしてフリードリヒ2世が18歳でローマ王(戴冠前の皇帝の呼び名)になった時のローマ教皇はかの有名なインノケンティウス3世です。

 教皇権全盛期のローマ教皇の時代に皇帝になんかなるものじゃありませんよね。

 でも、フリードリヒ2世はそうなって当然の血筋のもとに生まれちゃったんだからどうしようもありません。

 父は先代の神聖ローマ皇帝、母はシチリア女王でしたからね。

 まぁ、わかりにくい話はこれくらいにして、このフリードリヒ2世っていうのはどういう皇帝だったのかについてですが、当時の人にしてみれば奇人変人の類だったのではないかと・・・。

 歴史を知る後世の人間なら、この人を「王座上の最初の近代人」といってみたり、「世界の驚異」といってみたりできるんですね。

 まぁ、中世で最も進歩的な君主だったそうですから。

 フリードリヒ2世はシチリア王も兼ねていましたし、どっちかというとドイツよりこのシチリア王国がある南イタリアの方に重きを置いてましたから、シチリア王国の経済政策や学芸の奨励、そして何より「皇帝の書」なるものを発布し、絶対主義的体制の確立と啓蒙思想的政策の実地を試みます。

 ・・・、この当時、他にそんなことしてる国なんてありません。

 それにもかかわらず、彼の視線はルネサンスの先を見据えていたようです。

 どうしてそんなことができたのかって考えると、それはどうやら幼少期を過ごしたパレルモシチリア王国)での生活にあったようです。

 シチリア島っていうのは西ローマ帝国が滅亡してから、ゲルマン人やノルマン人やギリシャ人(東ローマ帝国)やイスラム教徒と支配者が目まぐるしく交代した島で、そのおかげか様々な文化がごちゃ混ぜ状態だったんですね。

 それらを教材に将来の地位が約束されてる人が教育を受けていたわけですから、偶然とはいえ、やはりなるべくしてなったというところですね。

 つまりフリードリヒ2世はローマ教会の守護者であり、世俗の頂点の皇帝になる血筋であるにもかかわらず、キリスト世界だけに囚われない広い視野を持った人物ってことになります。

 このころは中世の華といわれた騎士が活躍した時代で、彼らは文盲であることがむしろ褒められた時代ですからね。

 いかにフリードリヒ2世が変わり者に成長していったのかよくわかるってものです。

 そしてフリードリヒ2世を奇人・変人に決定することとしてイスラム教徒への寛容さがあります。

 先ほども書いたように幼少期の学びによって、キリスト教だけが~!っていう考えに染まっていませんから、別にいいじゃん!って感じです。

 さらに晩年は親衛隊もイスラム教徒で固めてたっていうから徹底してます。

 イスラム教徒に守られながら行進している神聖ローマ皇帝・・・、絵としては違和感しかないんですが、仕方がないんですよね。破門されたりしてるし・・・。

 こうしたフリードリヒ2世の性質は一つの画期的な事業を達成します。

 第6回十字軍によるエルサレムの開放です。

 ただし、10年の期限付きでしたが、戦闘の無い、話し合いによる成果です!

 それまでの十字軍はイスラム勢力と血みどろの戦いを繰り広げたり、あさっての方向に攻め込んだりと、メチャクチャだったんですね。

 第1回と第3回の十字軍はまだ成果があったようですが、第4回に至ってはなぜか東ローマ帝国の首都を落としちゃってますからね。

 もはやだれが敵で目指す地がどこなのかさえわからなくなってるような有様です。

 で、そんな血まみれの十字軍を無血で、しかも破門の身でありながら第一目標だったエルサレム解放をやっちゃったフリードリヒ2世、さぞかし評判が上がったことだと思いきや、超最悪の評価しかしてもらえませんでした!

 ふみきゅんなら憤死しちゃうレベルです。

 彼の軍勢は破門十字軍と呼ばれ、民衆からは侮辱的な言葉が投げられ、各地の騎士などは従軍を拒み、あろうことか敵対する者まで現れる始末です。

 むしろ敵方のアル・カーミルの方がよっぽど彼への理解があったくらいです。

 かわいそうなフリードリヒ2世。

 でも、彼はそんなこと気にしなかったように思うんですよ。

 こんな言い方をしてはいけないのかもしれませんが、彼は「バカばっかりだ!」って思ったんじゃないでしょうか?

 十字軍でエルサレムを取り戻せ!一点張りのローマ教皇もバカなら、それに狂喜してる民衆もバカ。いつまでたってもわずかな領地をめぐり争ってる諸侯もバカ。

 もう、キリスト世界はバカばっかりだ~!って言いたかったと思いますよ。

 もともと頭が良かった人が一つのことにとらわれることなく、様々な学びによって広い視野と柔軟な思考を手に入れればこうなりますよね。

 そしてそれらのことはローマ教会を頂点とする支配者階級の人々にとっては実に都合が悪いことだったんですね。

 というわけで、解放のご褒美とばかりにエルサレム王にまでチャッカリなっちゃったフリードリヒ2世ですが、その後も教皇や北イタリアの諸都市を相手にで戦争に明け暮れることになっちゃいます。

 敵(バカ)ばっかりですからね。仕方がありません。

 私、思うんですよ。

 フリードリヒ2世って、ローマのカエサルを意識してたんじゃないのかなって。

 異教徒や異民族に寛容で、むしろ彼らを取り込もうとしたところ。

 啓蒙思想を取り入れ、貧民保護や役人の不正処罰など公正な社会を目指したところ。

 既存の権力を打倒して新しい秩序を生み出そうとしたところ。

 そして広い世界(あ、神聖ローマ帝国領とか)を治めるには中央集権化(絶対主義的体制)が最も適していると考えたところ。

 などなど、カエサルそっくりなんですよね。

 もしカエサルなんか知らない!って言ったとしても、見据えてるところは同じだと思うんですよ。

 歴史の中で極々たま~にこういう遠い未来の風景を鮮明にイメージしてるような人物が現れます。

 そういう人の活躍はとってもワクワクするんですが、同時に忘れてはいけないのは、どうしてそれだけ優れた考え方をしていたのに、うまくいかなかったんだろう?ってことですね。

 中世がよく暗黒の中世といわれるくらい、キリスト教によってあらゆるものが支配されていた時代っていうのは、どれだけ権威や領地や能力に恵まれていたとしても、個人ではどうにもならなかったってことですね。

 今、我が国の首相は支持率に一喜一憂しておいでのようですが、そんなことをしてるようじゃ、グローバルな支配を企ててる連中にいいようにあしらわれちゃいますよ。

 誰が何と言おうとオレはこれで行く!っていう姿勢でいなければ・・・、ねぇ。

 少し前の代に、ほとんどのオールドメディアを敵に回しながら飄々と政治をやってた人がいたじゃないですか。

 あれだけ近くにいたのに、何も学ばなかったんですか?

 たぶん、国葬なんかよりも他にやってほしいことがあるんだと思うんですよ。

 

 

 

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