さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

838 イケメン候補のスキピオ君、でも晩年は・・・。

 みなさん、こんにちは。

 

 ロシアとウクライナの戦争って、どこが終着点なのか?どうなったら終わるのか?

 おさるのおつむではさっぱりわからないんですよね。

 今、ウクライナの反転攻勢が続いていますが、ロシアはミサイル攻撃によってウクライナ各都市のインフラを破壊してますね。

 たぶん、ウクライナがロシアに占領された領土すべてを取り返したとしても、ロシアはミサイル攻撃をやめないような気がします。

 仮にプーチンがいなくなったら終わるのかといえば、それもはっきりしません。

 最近ではベラルーシやイランもロシアに加担してるようですね。

 ホント、もう泥沼です。

 それに便乗してるのか、北朝鮮はミサイルやらなんやら盛んに撃ちまくってますし、中国は台湾を武力で我が物にしちゃうぞ~!とか言ってます。

 戦争は悪なんじゃなかったんでしたっけ?

 何はどうあれ、戦争をおっぱじめた国に対して世界は一致団結して制裁を加えるんじゃなかったんでしたっけ?

 ユーチューブのあるチャンネルで、どうして戦争が無くならないのか?っていう疑問に、戦争をしてはいけないと思ってる人は意外と少ないから!って言ってました。

 そうなのかもしれませんね。

 でも、今の戦争って、どうしても最後は市街戦になりますよね。

 最新鋭の兵器を駆使して戦争を進めても、占領する過程でどうしても銃の撃ちあいになっちゃいます。

 イラク戦争の時だって、制空権をとるまではあっという間でしたが、その後の戦闘はグダグダになっちゃいましたよね。

 プーチンがそうなることの愚かさを知らないとは思えないんですが、クリミアの時にあまりにも鮮やかに占領できたもんだから、二匹目の泥鰌を狙ったんでしょう。

 で、今、こんな感じ。

 戦争犯罪がどうのこうのといったところで、ロシア軍にそれをやめさせることはできませんし、結局暴力を抑え込むにはそれを上回る暴力しかないのかなぁ!って思っちゃいますよ。

 人類って、ホント進歩しませんよね。

 

 さて、戦争はいけないことって言いながら、歴史を趣味にして~の戦いなどに興味津々っていうのは矛盾したことなんでしょうか?

 それとも、先ほどの戦争はいけないことだとは思っていないって言われちゃうんでしょうか?

 私はそうは思いませんけどね。

 でも、なにかこう、無様で見るべきところがない戦いっていうのはやっぱり興味がわかないし、なんか嫌な気分になっちゃいます。

 では、鮮やかな戦いって何?と聞かれれば、やはりカンナエの戦いやザマの戦いですかねぇ。

 特にザマの戦いは古代屈指の戦術家同士の対戦でしたから、歴史好きにはたまらないんですよ。

 前置きが長くなりました。

 今日取り上げるのは、このザマの戦いの勝者で、アフリカヌス(アフリカを制した者)の尊称を与えられた古代共和政ローマの武将スキピオ・アフリカヌス(紀元前236年~紀元前183年)です。

 世界史の教科書では大スキピオって習う人ですね。

 ピッカピカの貴族の御曹司です。

 この人の何がすごいのかといえば、今でも歴史上屈指の戦術家と評価され、生涯無敗だったそうですし、何よりイケメンの可能性が極めて高いんですよね。

 何しろ彼には接した人を魅了する爽やかさがあったそうですから。

 そしてこのスキピオが対戦した相手っていうのが有名なカルタゴの武将ハンニバルでした。

 西洋の古代史で名将を上げれば必ず名前が挙がってくる二人が同じ時期に活躍した上に実際に対戦までしちゃってます。

 こんなことはとっても稀なんですよね。

 どうしてかっていうと、対戦すればどっちかが勝ち、どっちかが負けちゃいます。

 そうなると勝った方の評価と負けた方の評価は雲泥の差になりますからね。

 本当はそういうことっていっぱいあったのかもしれませんが、どうしても勝敗がその評価の重要な材料になっちゃうから、仕方がないんです。

 でも、この両雄は、それまでの実績がとんでもないものだから、言ってみれば古代の戦術家の決勝戦で激突したようなものなので、負けちゃったハンニバルも評価が下がらなかったんですね。

 とても珍しいことです。

 先にハンニバルに触れますが、この人はカルタゴの武将で、ローマ対カルタゴの戦争である第二次ポエニ戦争(いわゆるハンニバル戦争)でスペインから軍勢を率いてアルプス越えを敢行し、イタリア半島に殴り込みをかけちゃいました。

 そして連戦連勝し、ローマの手前まで来ちゃったくらいなんですね。

 特にカンナエの戦いは包囲殲滅戦の最高傑作として、今でも軍事教練の題材にされてるそうです。

 カンナエの戦いではローマ軍はカルタゴ軍の倍の兵力だったにもかかわらず、逆にカルタゴ軍に包囲殲滅されちゃいました。

 決してローマ軍が弱かったわけではなく、指揮官がアホだったわけでもないんですが、当時のローマは重装歩兵の正面突破力が売りでしたから、これを逆手に取られて、結果将兵のほとんどが戦死または捕虜になってしまいました。

 ハンニバルはローマを直接攻めなかったものの、その後もイタリア半島に居続けて、ローマの同盟国の切り崩しを図っていました。

 ハンニバルがイタリアに現れた紀元前218年からイタリアを去る紀元前202年までの間、ローマの人々は生きた心地がしなかったでしょうね。

 その状況を打ち破ったのがスキピオでした。

 スキピオハンニバルより11歳年下で、ハンニバルがイタリアで暴れていた当初、父や叔父に連れられて戦場に赴き、こっぴどい敗戦を経験していました。

 彼が主将として軍を率いるようになるのは、その後、スペインに攻め込んだ父や叔父が戦死した後のことで、25歳になっていたスキピオは異例の処置で指揮権を与えられました。

 ここからスキピオの無敗記録が始まるんですが、異例の処置っていうのも連続して行われるようになります。

 ローマの共和政を支えていたのは一にも二にも法であり、戦時であってもかなり厳格に守られていました。

 これを破ってしまったことは後にスッラやポンペイウスカエサルの行動にも影響を及ぼします。

 スキピオっていう人はちょと変わったところがあって、目的が定まってる時は、このように法を破ることも平気なんですが、目的が達成されると、元の共和政主義者に戻って法を厳守します。

 後の話ですが、彼がアフリカで勝利したことにより、第二次ポエニ戦争はローマの勝利で終わります。

 救国の英雄となった彼に対して、終身執政官や終身独裁官になってはどうかとの提案がされますが、ことごとく断ってるんですね。

 カエサルなら、考える間もなく受けたんでしょうけどね(笑)。

 さらにもう一つ、終身執政官などへの就任は断っても、彼は元老院において第一人者とされます。

 要するに彼がローマの政治を牽引するようになるんですが、あれだけの戦術の才能を持ちながら、またローマもカルタゴを降して、西地中海を支配するようになったんですが、その後周辺諸国に侵略の手を伸ばすことはなかったんですね。

 まぁ、マケドニアとシリアには攻め込みましたが、これはハンニバル戦争でカルタゴに味方したとか、ハンニバルを匿ってるとかいう理由もありましたし、どっちかというと先に手を出したのはマケドニアやシリアの方でしたからね。

 要するにスキピオっていう人は戦争したがりではなかったってことですね。

 まぁ、戦うと勝っちゃうんですけどね。

 話を戻すと、スペインでの戦役は父や叔父の敵討ちの要素もあったんですが、その後、スキピオは執政官に立候補させてほしいと言い出します。

 狙いはイタリアにいるハンニバルなんか無視して、カルタゴの本国(現チュニスのあたり)を直接攻めちゃおうっていうことでした。

 で、そのためには執政官になって指揮権を得る必要があったんですね。

 またもやルール無用の振る舞いですが、立候補できれば彼は間違いなく当選できるだけの人気がありましたからね。

 結局、それを押し通してアフリカに渡り、ザマの戦いでハンニバルと決戦に及んでこれを倒します。

 象まで連れて来たにも拘わらず、ハンニバルカンナエの戦いでやって見せたことを今回はスキピオにやられちゃったんですね。

 もしもザマでハンニバルが勝ったとしても、最終的に戦争はローマの勝利で終わったと思われますが、やはりはっきりと決着をつけた意味は大きいんですね。

 紀元前814年に建国されたフェニキア人のカルタゴは、結局第三次ポエニ戦争で滅亡します。紀元前146年のことです。

 対してローマは西地中海ほぼ全域を支配下に置くようになります。

 そして救国の英雄になっちゃったスキピオは民衆の熱狂的な歓迎を受けることになるんですが、カルタゴの戦後処理については実に寛容な姿勢で臨んでいます。

 敵を徹底的に痛めつけることも良しとしなかったスキピオ君なんですよ。

 彼の朗らかな人柄とおそらく間違いなくイケメンだった容姿に加えて、敵の寛容な人物なんだから、今の人からしたら文句のつけようがない人物ってことになりますね。

 でも、晩年、彼は失脚します。

 前述のマケドニアとシリアへの遠征の際、敵からわいろもらったでしょ?っていう疑いをかけられて、自らローマを去ります。

 共和政ってなんだか良さそうな感じがしますが、このように足の引っ張り合いをやっちゃいますからね。

 そして彼は二度とローマの土を踏むことなく世を去ります。

 私、思うんですが、スキピオはその寛容さやギリシャ好きでもあったことから開明的なところも含めて、国内の政敵に対してわきが甘かったと思うんですよね。

 これって、カエサルにも言えることなんですが、才能豊かな人っていうのは、案外と警戒心がないんですかね?

 ただ、カエサルと明らかに違うところはスキピオは野心家ではなかったってこと。

 彼が求めていたのはローマの人々からの敬愛だけであって、富も権力も名声もどうでもよかったと思うんですよ。

 彼はローマの神々にも傾倒していたから、神格化されたかったのかもしれないけど・・・。

 最後に彼が墓石に彫らせたという言葉で締めくくりますね。

 「恩知らずの我が祖国よ、お前たちは我が骨を持つことはないだろう」

 救国の英雄とまで言われた男の言葉としては、あまりにも悲しいですよね。

 ・・・、安倍さんもひょっとしてそう思ってるのかもしれませんね・・・。

 

 

 

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