みなさん、こんにちは。
さて、今日も諸葛亮孔明のお話です。
世に出てから劉備が没するまでの16~17年くらいの間、翼を広げ大きく羽ばたく鳥のように、自らの実力をいかんなく発揮していた孔明。
各局面でみせる神がかり的な計略や用兵は三国志の主人公が曹操から孔明に変わったことをうかがわせるに十分な活躍でした。
そして、それらは天下三分の計である荊州と益州の領有、劉備が皇帝となったことでいよいよ完成間近となったところで急に暗雲が立ち込めます。
それは劉備の死。
加えて劉備を支えてきた勇将たちの死。
これによって、魏を討伐し漢室の復興を成し遂げるという目標は実現不可能なものになっちゃいました。
劉備の死からの11年間、孔明は南方を征伐して後顧の憂いを取り去った後、ひたすら北伐に残りの人生のすべてを傾けます。
そこには劉備がいたころの天衣無縫な天才軍師の姿はなく、斜陽の帝国(誕生したばっかりなのに…)を必死に支える孤高の宰相がいるのみって感じになります。
小説(吉川英治氏の三国志)もトーンが変わり、シリアスで重苦しいものになっていきます。
言い換えればそれだけ孔明の置かれた状況は厳しかったって言うことなんでしょう。
北伐に備えて行った南蛮征伐は確かにそれ以降大規模な反乱もなく(小さいのはチョコチョコあったようですが)、そのうえ南蛮からの献上品で蜀の財政も潤ったことでしょう。
しかし、おそらくこの遠征で孔明は健康を損なったのではないかと思われます。
何しろ、経験したことがない熱帯雨林地方の気候風土のなかで、負けることなど許されず、勝つにしても圧倒的でなければならない戦いをするわけですから。
一進一退の状況なんてことになったら、孔明が帰るとすぐに反乱がおきる悪循環になっちゃいますからね。
おバカな劉禅をはじめとして他の重臣たちも、孔明が行かなくてもいいんじゃないの?って言ってましたが、そういうわけにもいかなかったところがつらいですよね。
で、体調の悪化という犠牲を払いながら南蛮を制圧し、いよいよ北伐ですが、最初からケチがついちゃいましたよね。
関羽が敗れた際、救援に行かなかったとして蜀に居ずらくなり魏の投降した孟達が再び蜀に寝返りたいって言ってきたところ、司馬懿によって殲滅されちゃいます。
この時点で北伐のその後を暗示してるようですが、まぁ、これは仕方がないこととあきらめて、第一回北伐開始!
蜀における魏との国境は漢中と呼ばれる地域になりますが、ここから見て北東にある最初の目的地長安(現西安)を目指すにあたっていくつか街道があります。
魏延はこの中で一番近道に当たる子午道という道を一気に駆け抜けて長安を奇襲しちゃおうぜ!って提案しましたが、あっけなく却下されちゃいます。
まぁ、言ってるのが魏延ってところに問題があったような気がするんですよね。
これ、趙雲あたりが言ってたら、案外孔明もムゥ!と唸ったのかもしれません。
で、孔明はその長安に向けていくつかある街道の一つを趙雲が進んで郿を落とすと思わせながら、実際は漢中から見て北北西にある天水など3つの都市を攻略します。
長安攻略に当たって、背後をまず固めようという算段ですね。
固い・・・。実に固い。硬いといってもいいでしょう。
このあたりに、孔明の背負っているものの大きさがうかがえます。
この北伐は国力で劣る蜀が強大な魏に挑む戦いであるにもかかわらず、当たって砕けちゃダメ!っていう縛りがありますからね。
大敗などしようものなら、北伐なんかさせてもらえなくなっちゃいますから。
でも、狭い蜀に閉じこもっていても、それこそ座して死を待つようなものですよね。
孔明は不敗の構えを崩さずに攻勢に出るという、書いてる私もよくわからないような遠征を企図していたんでしょうね。
それにしても硬質です。
まぁ、首尾よく3つの都市は陥れ、姜維なんていう有能な若者をてにいれたものの、さてこれから長安目指して東に進撃するよ~!っていうところで起きたのが街亭の戦いです。
ここは奪った3つの都市に蜀軍と遭遇せずに向かおうとした場合、魏軍の通り道になります。さらに言えばここを蜀軍が守り切ってる限り、後方へ回り込まれて兵站を絶たれる心配がないってところですね。
主戦場になると思われる位置からは離れていますが、非常に重要な位置なので、本来魏延など少々おバカでも経験豊富な将軍を生かせるべきところ、立候補しちゃったのが馬謖くんなんですね。
先ほども書いたように、ここを通さなければ、魏の別動隊はどうしようもなくなり、そのうち自分たちの背後が脅かされる可能性が出てきますから、進めないとなれば撤退するしかないんですね。
だから孔明も、山なんかに上らずに、街道を封鎖して敵を通さなければよい!って言ってたのに、馬謖のおバカが山に登っちゃうもんだから、水の手を絶たれてあっという間に殲滅されちゃいました。
そうなってくると、逆に蜀軍が挟み撃ちに遭いますので、孔明無念の撤退です。
歴史のお話をするにあたり、ifやタラレバは禁句なのはわかっていますが、この街亭の戦いだけはどうしてもそれを思わずにはいられないんですよね。
おそらく、馬謖が指示されたとおりに通せんぼしていたら戦局は蜀に有利に働いたんじゃないかと思います。
魏の防衛体制は整っていませんでしたし、後に孔明の前に立ちはだかる司馬懿も、この時は立場が微妙で、とても長安方面軍を任せてもらっていたわけではありませんから。
かえすがえすも惜しいことをしちゃいました。
孔明としては、ただでさえ人材不足なわけですから、ここで弟子としてかわいがってきた馬謖くんがきちんと役目を果たしてくれれば、その後の戦いにおいて軍を分けて任せられる司令官にできると思っていたんじゃないかと推察しています。
孔明の支持を愚直に守り、無難に戦える将軍はいても、ある程度状況に合わせて臨機応変に対応できる将軍が圧倒的にいませんでしたからね。
おっちょこちょいの孟達や、趙の趙括そっくりなアンポンタン馬謖のために唯一勝つ可能性があった第一回北伐は終了しちゃいました。
もう、この時点で孔明のHPはかなり削られちゃったように思うんですが、戦後処理に当たり、馬謖を処刑したことで完全に健康は損なったのもと思われます。
「泣いて馬謖を斬る」の由来になった出来事ですが、ここに孔明の性格がよく表れています。
信賞必罰は軍を預かる者にとって絶対だって孔明は思っていたんでしょう。
もし、ここに劉備だけひょっこり残っていたとしたら、「だから言ったじゃないか~!あいつは口だけなんだって!」くらいは言うんでしょうけど、「馬謖、お前はもう一回勉強しなおしてこい!このおバカ!!!」とか言ってとりあえず取りなしてくれたかもしれません。
本来このような贔屓はダメなんですけどね。
それができちゃう劉備と、できない孔明の違いが、この妙に重苦しい物語の雰囲気なのかもしれませんね。
あ、とりあえず時間なので、続きはまた今度。
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