みなさん、こんにちは。
マンションの南側にある公園には5本の桜が植えられていて、見事に満開です。
あいにく小雨まじりなのと、私は休日ですが世間は平日なので、行き交う人もなくひっそりと春を告げてるようでした。
まぁ、いいんですけどね。
昨日、暴力ってなぁに?という問いかけのブログを書きましたが、今のところ自分でもしっくりと納得できる答えは見つかっていません。
はっきりしてるのは、正当防衛でもない限り、「他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力」(wiki選手より)を行使してはダメっていうこと。
これにはみなさん異論はないと思うんですよ。
ただ、この他者の・・・長いですね。物理的な破壊力だけにしましょう。
この物理的な破壊力を行使した場合、そのきっかけになった行為(前回で言えばクリス・ロックのひどい発言)はなかったことになるんでしょうか?
なんかそういう雰囲気ってありますよね。
奥さんを侮辱されたことに腹を立てたウィル・スミスがとった行動は責められても仕方がありませんが、この件でいえば被害者はウィル・スミスの奥さんですよね。にもかかわらず、手を出した(物理的な破壊力を行使した)ためにウィル・スミスだけが責められてしまい、あろうことか悪口のクリス・ロックは被害者になっちゃってるような気がします。
これに似たことって、世の中に非常に多くあると思うんですね。
このこともまた、「先に手を出した方が悪い論」の弊害だと思うんですね。
たとえひっぱたかれようが蹴られてしまおうが、クリス・ロックもまたその言葉の責任は取らなければならないと思うんですよね。
そして、昨今のSNSでの誹謗中傷問題もその影響を受けてるような気がします。
別に直接叩いたわけじゃないんだからいいじゃん!って思ってるのかもしれないでしょ。でも、その誹謗中傷によって心(精神)を破壊され、自ら命を絶つ人まで出てますからね。
いいじゃん!で済むわけがありませんよね。
ですから、wiki選手にもあったように「ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある」のは当然だと思いますし、私はもっと拡大解釈して、悪意があったり、相手の被害を気にも留めない行為もまた暴力って言えるんじゃないのって思っちゃうんですよ。
・・・、違いますかね?
暴力って、その対象になる人(被害を被る人)にとって制御できない力だと思ってます。ペチャって叩いたら暴力!暴力!って言われ、言葉によってどんなに耐えがたい苦痛を与えたとしても直接触れていなければ、セーフ!っておかしいじゃないですか。
ただ、そのようなとらえ方をすると、暴力って呼べるものが100~1000倍くらい増えちゃいそうですし(あ、勝手な推測です)、最近流行の被害者の地位獲得競争が激化しちゃいそうでいけません。
それに、悪意などはなかなか証明しようがありませんからね。
困りましたね。
それでも、頑張って言っちゃうとすると、今の社会は物理的な破壊力以外の暴力に対しては親和的な気がするんですよ。
そもそも「先に手を出した方が悪い論」が広く採用されているっていうこと自体、そのわかりやすさに甘えてるだけで、実際何が起きていたのかを深く探るようなことはしないってことですもんね。
まぁ、そういうことにしとけばいいんじゃないの?っていう感じです。
さらに言えば、関わり合いになりたくないっていう風潮がそれに拍車をかけます。
手を出すのも悪いけど、そのきっかけとなった行為もあるし、それも悪い!っていうことを、後で、他の場所で言うことはあっても、その場にいる人が言ったりしないでしょ。
少なくともアカデミー賞の会場ではそれがなかったわけで、それを北斗晶さんは指摘してるんですけどね。
どっかのコメンテーターのように、この話をロシアのウクライナ侵攻にすり替えるつもりはありませんが、狭義の暴力でも戦争から夫婦喧嘩まで様々です。
これに広義の暴力っていう概念をぶち込んでしまうと、世の中暴力だらけになっちゃいますが、これでは暴力の当事者(加害者と被害者)だけでは解決できるはずもなく、周囲の第三者が介入することで初めて解決すると思いますし、秩序っていうのが維持できると思うんですよ。
他の人のことなんかどうでもいい!なんて思ってると最終的に自分の生活を維持できなくなったりすると思うんですよね。
たぶん、こういうことについては、昔の貧しかった日本人の方がより切実に、そして真剣に考えていたと思います。
まぁ、なんでも昔の方が良かったなんて言うつもりはないんですけどね。
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