みなさん、こんにちは。
尼崎の女性が刺殺された事件ですが、容疑者が逮捕されて良かったですね。
これは元夫の犯行のようで、被害者は狙われていたっていうことですよね。
しかし、上野駅のATMの前で並んでた人たちを男が刺した事件は無差別なものだったように聞いています(その後の記事を見ていないもので…)。
少し前には、人に硫酸をかけた男や、電車の中で女性に切りつけた男もいましたね。
あ、男ばっかりだ・・・。
ま、まぁ、それも重要なことなんですが、今回はその話ではありません。あ、別に男を庇ってるわけではありませんよ。むしろバカな男が多くて迷惑してるんですから…。
そういえば、先日も交際を断られた男が、断った女性宅に侵入し、か女性の両親を殺害して放火したっていうとんでもない事件が起きてましたね。この男は19歳なので、例の少年法との絡みもでてきてややこしい話になりそうです。こんな時に鬼平がいてくれたら問答無用で切り捨ててるところでしょうけどね・・・。
まぁ、少年法の話も今回はしません。
では、何の話をするのかろ言いますと、先日、私はこういう殺伐としたニュースが連続していた時に、「コロナ禍のせいでしょうか?」なんてことをツイッターかブログに書いちゃったんですね(覚えていないところがダメなんですが)。で、あれってやっぱり間違ってたなぁって思ったものですから、そのことを書こうと思ったんです。
よく、事件が多発したり、それが猟奇的であればあるほど、それを社会のせいというか、そこに原因があるような話になっちゃいます。私も、何となくそれに乗っかってたんですね。でも、それってやっぱりおかしいですよね。
ちょっと落ち着いて考えてみれば、ただ単にそういう人間がそういうことをしただけなんじゃないの?って思うんですよ。
貧困や挫折などにより社会を恨み、そうした感情が強くなって行われた犯行!ってよく言われますが、しっくりこないんですよね。
人によって様々な事情があるでしょうし、考え方も人それぞれですからね。
ちょっと嫌なことがあっても、全く気にしない人もいれば、ひどく恨みに思う人もいますからね。
ですから、この社会にはそうした危険な行動をとる人がわずかではあってもいるっていうことを自覚しなければなりませんね。
とっても嫌なことだけど、仕方がありません。
そして、注意しなければならないのはそれだけではなくって、自分の身に危険が降りかかってきた時には、自分で何とかそれを回避しなければならないケースが増えてるってことですね。
これは間違いないと思っています。
年々、他人のことには関心がなく、やっかいなことに関わりたくないっていう傾向は強まっていると思うからです。自己責任っていう言葉は好きではありませんが、普段他人の関与を嫌い、自由と称して好き勝手に生きておきながら、困った時は助けてね!っていうのはちょっと虫が良すぎるっていうか、他の人も関わり合いを嫌ってますからね。
なので、こういう事件は今後も減ることはないのかもしれませんね。
防犯カメラなどを駆使して、警察はかなりスピーディーに犯人を検挙していますが、発生そのものを防ぐことはできませんからね。
人が多い都市部では難しいのかもしれませんが、やっぱり怪しい人には近付かないようにしないと!ですね。
それにしても、心理学や社会学等の専門家の方々は社会のこういう点が犯罪を誘発している!などとよく言いますが、だから何だというんでしょうね。
これ、いつも思うんですが、世相が暗く歪んでるからって言われても、それをどうすればいいのかは言ってくれません。あるいはきわめて抽象的なことしか言いません。
そして、なんだか犯行の責任を犯人から社会にすり替えようとしてるようにも思えちゃいます。こういうのって、やっぱり良くないでしょ。ごまかしてるみたいで…。
本人に何があったのかなんか知りませんが、人を傷つけるような輩は非難されてしかるべきだと思うんですよ。
余談ですが、アフリカのとある国で、子供を十数人殺害した犯人が脱獄したそうですが、たまたま行きついたところで住民たちに殴る蹴るの暴行を受けて死亡したそうです。憎しみもあったのかもしれないし、自分たちの子どもが被害に遭ってはいけないからって思ったのかもしれません。これは私刑なので、こうするべきとは言いませんが、偽善者ぶって、「そういう犯人にも人権があり、未来がある」なんて言うよりもよっぽど正直なような気がするんですよねぇ。
私も病んでるんでしょうか?