さるきちのしっぽ

生活の中のごくごく身近なことをゆる~く取り上げてみたいと思っています。結構おもしろいことが見つかると思います。 また、住環境には長年携わっていることや、釣りなどアウトドアの趣味をもっていることから、そうした内容も交えて発信していこうと思います。 いずれにしても、おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

345 「市民」、「市民」って…。

 みなさん、こんにちは。

 

 「表現の不自由展・東京」(正式名称は「表現の不自由展・その後 東京EDITION&特別展」)の実行委員会が街宣車などによる妨害行為を受けたため、会場を変更することにしたそうです。

 彼らは、街宣活動をする右翼(?)を批判し、市民社会がこの事態にどう反応するのかが肝要だと言っていますね。

 まぁ、あいちトリエンナーレであれだけ批判されても、性懲りもなくというか、むしろその批判を糧にして張り切っちゃってるって感じでしたからね。

 私は街宣活動やそこで発せられる言葉全てを肯定するものではありませんが、左派の活動の方がよっぽど暴力的で迷惑で品性にかけると思っているんですがどうなんでしょう?相変わらずの、自分たちは正しいことを言っている被害者なんだから何をしても良く、敵対する者たちは誤った主張をする加害者なんだから認められないってことなんでしょうか?

 ちょっと聞いてみれば、弱者に寄り添った(この言葉嫌いなんですが)良い話をしているようでありながら、依然として多くの支持を得られないのは、そのあたりが見え隠れしている上に、外交勢力の影もちらついてるからのような気がします。

 で、彼らがよく使うフレーズに「市民」っていう言葉があります。

 よく「プロ市民」とか「市民活動家」なんて言われてますよね。

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 だから、仙台市市民とか広島市市民という意味の市民ではありませんよ。

 Wiki選手によると、「政治的共同体、国政の(主権的な、主体的な)構成員」とあります。また国民との違いについて、「市民がその理想とするところの社会、共同体の政治的主体としての構成員を表すのに対して、国民は、単にその国家の国籍を保持する構成員を表す」ともあります。

 つまり、国民であることよりも、その理想とするところの社会、共同体の政治的主体としての構成員であることの方が重要と考えているんでしょうね。まぁ、一概にそう言い切れるのかどうかはわかりませんが…。

 しかし、この方向で考えると、彼らの行動は、その意味では筋が通っていますね。理想とする社会、共同体をつくるためには、既存の国家、政府は破壊しても良いっていうところですね。もし、この国の形を維持しながら良くしていこうと思うのであれば、別のやり方があるでしょうからね。

 今日は時間がないので、具体的なお話はまた次の機会にでもお話しますが、戦後教育の賜物と思えるくらい、この国では国っていうものに価値を見出したりこだわりを持ったりする気持ちが希薄になっているような気がします。そこに付け込んで彼らは活動していますが、元来の国民性によるものなのか、変化に対してやや強めな警戒心がかろうじてそれを食い止めているのかもしれませんね。

 私も政府には批判的な人間ですが、日本は好きですからね。

 ですから、彼らのその「市民」的発想に対して、警戒感を持っていますし、その流れで見ていくと、おぼろげながらその目的も透けて見えるような気がします。

 国民とかその市に住むものとしての市民ではない「市民」を使う人には、少しだけ注意しておいたほうがいいと思っていますよ。