さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

97 そういうわけで3代目の筆箱(?)は透明なビニール袋でした。

 みなさん、こんにちは。

 

 先日参加したセミナーなんですが、スウェット野郎が気になるあまり、他に思ったことをすっかり忘れてしまっていました。まぁ、それだけあの時の彼が印象的だったというか、セミナーにあんな格好で来た人を初めて見たので、びっくりしちゃったのかもしれません。いやぁ、なんともすごい人ですよね。

 ところで、その、他に思ったことなんですが、みなさんは筆箱をお使いですか?

 私はもう何年も使っていません。

 普段使っている筆記用具は0,5㎜の製図用のシャープペンと3色のボールペン、たまに赤鉛筆くらいです。あとは三角スケールと消しゴムでしょうか。これらは全部ウエストポーチに入れています。う~ん、よく考えたら仕事をするようになってから、筆箱は使ったことがないですね。

 あ、セミナーのパンフレットに筆記用具持参と書いてあったので、その時からふと思ってしまったんです。

 私が小学1年生になった時、初めて筆箱を買ってもらいました。

 プラスチック製の黒い箱で、表面にビニールのクッションが付いているような極々一般的なものでした。鉛筆をさす柔らかい筒状のものが付いていたのと、消しゴムを置くスペースがなんとなくわかる仕切りで表示してありました。あの時は筆箱っていうものを兄が持っているものしか見たことがなく、兄も同じようなものを使っていたので、私はただ嬉しくってしょうがないと言った感じでした。

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 その後小学校の3年生くらいになると、友達が持っている2段、3段の筆箱に目を奪われるようになり、欲しい欲しいと親にせがんで、買ってもらったのを覚えています。表と裏に蓋が付いており、磁石で閉じるようになっています。更に真ん中がパカッと割れるようにもなっていて、そこに物差しやらコンパスなどの薄いものを収納するようになっていました。絵柄はガンダムだったような気がします。

 収納量が伸びた分、当然厚みも増します。ランドセルの中でどのように教科書などと折り合いをつけて納めるのか、要領を掴むまでしばらく悩むハメになりました。でも、うれしかったですね。今考えるとバカみたいなことですが、あの当時はどうしてもみんなと同じものが欲しかったんです。でも、友達の中には、弁当箱を細くしたようなプラスチックのただの箱を使っている人もいました。当時の未熟な私は、その人の筆箱を見る度に何となく優越感を感じていたものです。本当に情けないことです。

 でも、あの頃は子供ながらにみんなと同じじゃないといけない、自分だけ違うものを使っていたら、それだけで置いてきぼりをくらいそうだと真剣に考えていましたので、そりゃもう必死でした。ですから、その筆箱が欲しいというよりも、友達と同じものが欲しい、同じでいたい、っていう気持ちが強かったんだと思います。

 どうして、そんなふうに思っていたのかわかりません。別にいじめられていたわけでもなく、仲間外れにされていたわけでもありません。でも、正直なところ、一人でいることに恐怖感を持っていたような気がします。常にだれかと一緒に行動していないと不安になる。そのうち、一人でいると何をしていいのかわからなくなるっていう感じですね。幼稚園の頃には考えなかったこと、う~ん、社会性みたいなものでしょうか。もちろん正しい意味での社会性ではなく、人に依存するようなものですが。

 そうした依存型社会性の呪縛から解放されたのは小学6年生の頃だったと思います。来年から中学生になりますし、そうなったらもう大人だね!なんて思っていましたので、徐々に一人でいても平気になっていきました。友達と一緒の時には相変わらずバカみたいなことをしていますが、一人の時には好きになっていた読書をしたりするようになりました。なかなか大人っぽいでしょ。

 しかし、人間そうそうバランスよくできてはいないようで、今度はそういうものに無頓着になってしまい、中学3年生のころまでガンダムの筆箱を平気で使っていました。周りの友達は布製といいますか、柔らかい筆入れを使っていましたが、私はまだ壊れていないからという理由で、使い続けていました。高校受験の直前になって友達からその筆箱で試験に行くの?って言われ、あ、そういえばちょっと変かもね、としばらく考えた結果、ビニール袋に鉛筆と消しゴムを入れていくことにしました。何かズレていたんですよね。当時はなんとも思いませんでしたが。そういうわけで3代目の筆箱(?)は透明なビニール袋でした。

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 なんか極端ですよね。

 一応高校、大学の間はデニム地の筆入れを使っていましたが、もうその筆入れに思い入れなどなくなっていて、雑に扱っていたと思います。

 行きたくないセミナーだったんですが、性格上忘れ物があってはいけないと思い、パンフレットを見ていてそんなことを思い出しました。

 以前お話したことがあるかもしれませんが、小学校の先生で「勘違いしちゃいけない。個性っていうのは同じ格好をしていても、同じ顔や同じ体つきの人はいないということ」って大勢の保護者を前にしてぶち上げた方がいました。その時通学用の靴かリュックサックか忘れましたが、高価なものを見につけることが流行りだしたので、学校側が同じものを使うように保護者に話をした時のことでした。なにやら子供の個性がどうのこうのとモゴモゴ言ってる親たちに、この先生は気合の入った声で言い放っていました。結局学校側の言うとおりになりました。

 あの話をきいて、私は逆に周りと同じじゃないといけないという呪縛から解放されたのかもしれませんね。何を身につけていようと、何を使っていようと、自分は自分なんだ!って思うようになったんだと思います。ただ、問題はそれを拗らせちゃったってことですね。

 そういう意味ではセミナーに来たスウェット野郎もいい線いってたのかもしれませんが、…いってませんね。あれはただ非常識でわがままなだけですね。

 よくTPOに合わせるとか言いますが、時と場所に合わせた振る舞いや装いは社会人として必要なマナーだと思っています。それこそ、そうしていても、私の個性はなんら失われることはないとも思っています。周りの人に合わせるところは合わせ、その必要がないところでは好きにするのが、ひいては自分の個性を守ることになるような気がします。

 高校受験の初日に会場でビニール袋から鉛筆を出したら、芯が全部折れていて、友達の鉛筆削りを借りてあわてて削ったのを思い出しました。あの時は焦りましたが、早速その日の夕方、鉛筆のキャップを買うことで問題解決しました。親は筆箱を買うように言ってましたけどね。

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 あの頃から頑固でひねくれ者な性格が芽吹いていたんでしょうね。