みなさん、こんにちは。
いつも思うんですが、掃除機を考えた人ってすごいですよね。
掃除をする度に思います。たぶんこうした思いに囚われてしまうのは私だけではないでしょう。だってあの巨大なT字カミソリみたいなので床をなでることできれいにしちゃうんですから。冷蔵庫を開ける度に、これを考えた人は天才だ!って思いますし、真夏には、エアコンを考えた人は命の恩人だ!って思います。
本当に白物家電は人類の英知が詰まっていますよね。
もちろん、白物家電に限ったことではない、ということ知っていますが、人々の生活に広くその影響を及ぼし、その生活スタイルを変えてしまうほどのパワーを持ったものとして考えれば、やっぱり白物家電でしょう。
いやぁ、実に素晴らしい。
その発想とそれを実現化する能力には頭が下がります。
私は生粋の(?)文系人間で、学校の理科はチンプンカンプンですし、数式を見るとアレルギーがでますし、英語を聞いているとなぜか眠くなるか、もしくは腹が立ってきたりします。
そういう人間からすれば、白物家電は信じられない知恵の産物であり、夢の装置なんですよね。
欲を言えば、洗って乾かすだけでなく、たたむところまでやってくれる洗濯機とか、味付けまでやってくれる電子レンジとか、ミケネコが3匹くらい住んでいる冷蔵庫とかあると良いのですが、どうでしょう。(やっぱり、最後のは無しでいいです)
まぁ、地味に便利なものは着実に開発され続けていて、それこそドラえもんの世界に一歩一歩近づいているように思います。開発に関わっている方々のたゆまぬ努力とあふれる知性に、惜しみない拍手を送りたい気分です。
しかし、現在注目を浴びているのはスマホなどの通信機器ですよね。
ク~ッ、なんか悔しいです!
まぁ、時代の流れなんでしょうね。白物家電は地味に人々の生活を支えるような、縁の下の力持ちとして頑張ってもらうしかないのでしょう。洗濯物をたたんでくれる洗濯機が登場しても、それによって人々の生活スタイルが変わるとも思えませんし、あえて言えば、外で洗濯物を干す風景が減るくらいなものでしょう。あ、物干し竿も減っちゃいます。…たいしたことではありませんね。
さて、スマホですが、今ではそれでお風呂を沸かしたり、留守中のペットの様子を見たり、銀行の決裁をしたり、結婚相手を見つけたりと大活躍です。一応これって電話とパソコンが合体したようなものですよね。そうですよね?違いましたっけ?なにしろ私はスマホを持っていませんし、IPatはユーチューブ動画を見るのと、ネットで建材の取説を見るのとナビと麻雀ゲームにしか使っていないので、よくわからないんです。
確かに便利ですし、これを使いこなせるようになったら、いろんなことができるような気もします。でも、今のところ別に不便を感じませんので、あまり関心がありません。しかし、菅総理になって、IT~大臣みたいな人が現れて、これからどうなるんでしょうか?今からでもIPatを使いこなせるようになった方がいいのでしょうか?実に不安です。そのうち、生活できなくなったらどうしましょう。
その一方で、そういう流れに一生懸命抗っている自分もいます。
誰の書いた本だったのか忘れちゃいましたが、今の核家族化した社会って政財官による一大キャンペーンだったそうで、親と子が同居せずに別々に家庭を持つような方向に世の中を誘導した結果なんですって。それによって、家も車も家電も需要が増えますからね。日本が貿易大国という立場と、分厚い内需を同時に獲得できたのは、そういう理由なんだそうです。いやぁ、これまたすごいですね!と手放しでは喜べません。その反面、地方の過疎化や高齢世帯が増えて、介護問題や高齢者の自動車運転問題が出てきましたからね。まぁ、物事には必ず良い面と悪い面があるってことですね。
当時、政治家や官僚の人たちはこういう状況になることを予想していたはずです。もし、本当に予想できなかったとしたら、ちょっとその人たちってまずいんじゃないの!と思っちゃいます。年金問題と同じように、予想できても、まぁ先のことだから、自分たちがどうこうしなくてもいいでしょって先延ばしにしてきたんだと思いますよ。
だって、子の世帯が親と同居しなければ、その親が年を取った時どうすんの?って誰でも考えますからね。
あのう、私はその核家族化が誰かの主導でもたらされたものであっても、別にそれはいいんです。実際それによって、日本は物質的に豊かになり、一時は国民総中流化にもっていくことができたわけですから。
私が言いたいのは、それによってもたらされる効果は良いものばかりではないわけだから、悪いものにも手をうっておいてほしい、ということです。
以前、お話しましたが、何かが起きてから対処したのでは遅いのです。価値観や生活スタイルを変えてしまうような取り組みは、必ずそれによって発生する負の部分にも配慮しておく必要があると思うんです。そういうことに予算や人を費やすことが無駄なことだという人もいるのかもしれませんが、いやいや無駄なのは学術会議のほうでしょ!って言いたくなります。(あ、えらい先生方が無駄とはいていませんよ、一応)
ですから、印鑑を使わないとか、オンラインでつないでどうこうとか、別にどうでもいいんですが、その方向で進んだ場合デメリットはないのでしょうか?ん?っていうかいったいどんな方向に、どんな未来に進もうとしているのか私はよくわかっていないのかも(今さらですが)。とりあえず予想できるのは、通信端末が使いこなせない人に対して、どのような配慮をされるのか(決して私が困りそうだからではありません!たぶん)、また、最近のIT系の詐欺事件などにどう対応していくのか、よく見て、考えた上で進めるべきだと思います。
ちなみに、この件については希望がありまして、スマホに「はらへった」ってうちこんだら食事の支度をしてくれるとか、「かたがこった」って話しかけたら肩をもんでくれるとかしてくれると、とても助かりますし、私も積極的に受け入れようと思うんですが、そんなふうになりますかね。
もし、そうじゃないんだったら、なんか嫌です。いりません。
スマホって、そういうものでしょ。
違うんですか?