さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

72 だから私もコレクターなのです。

 みなさん、こんにちは。

 

 収集癖がある人っていますよね。

 それもたくさんいますよね。

 特に男性に多いと聞きますが、どうなんでしょうね。

 ちなみに私も収集癖あります。だから私もコレクターなのです。

 で、このコレクターって外向きなコレクターと内向きなコレクターがいますよね。

 外向きなコレクターっていうのは、自分のコレクションを公開している人。あるいは同じコレクター仲間とお互いに見せびらかしっこをしている人です。

 内向きなコレクターはこの逆ですね。私もどちらかと言うと内向きなコレクターです。

 

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 さて、外向きなコレクターって、何と言いますか開放的で健康的なイメージがありますよね。絵画、時計、貴金属やアクセサリー、服、切手、ギザギザの10円硬貨等々様々なコレクションがあり、雑誌やTVでも披露されています。そこには希少性が重要なようで、新品なのか中古なのかはあまり問題ないようですね。と言うより新品など存在しないものほど希少価値が高いので、自然と中古のものが収集のターゲットになるのでしょう。でも、中には少々首をかしげるようなものがあります。あ、一応私の価値観でお話しています。

 その代表例が靴。スニーカーも。…中古ですよ。しかも発売当時の価格に対してその何倍ものお金を出して購入されています。…欲しいですか?

 靴コレクターってけっこういますよね。私は別にそれがおかしいとは思わないんです。仮に履くつもりがないのに集めていると言われても、新品であればコレクターっていうのはそういうものだ!とそのあたりは寛容なのです。これが古着であったのなら、別にそんなに気にしません。でも中古の靴やスニーカーは、う~ん、なんか嫌です。

 これは私自身の足の臭いに対するコンプレックスからなのかもしれません。

 ちょっと気を抜くと、自分の足の臭いに苦痛を感じるくらい、…足が臭いんです。

 指の間を入念にゴシゴシすることでかろうじて公害認定されずに済んでいますが、疲れたからと、うっかり帰宅してそのまま寝込んだ場合、起きたときに「フワ~ッ!」と浴室に駆け込むことになります。ですから当然靴やスニーカーは私にとって消耗品であり、よそ行きの(死語?)靴は履いた後、メンテナンスを施し相当な期間インターバルをとるようにしています。履きつぶす予定の靴は洗っても不快な臭いが取れない場合処分します。もったいないというご意見はごもっともですが、公共の福祉という観点から、社会に許容されないものは排除しなければなりません。それがマナーというものです。だから中古の靴やスニーカーは嫌なのです。

 それにしても、この外向きなコレクターって狂信的なところがなくっていいですよね。

 たまに変なものを集めているって聞いても、なんだか微笑ましいものに感じます。

うまい棒のパッケージとか、どこかの春のパン祭りのお皿とか特別に価値が高いわけでもなく、使い道があるわけでもないものであっても、なんだか楽しい気分にさせてくれますね。

 思うんですが、外向きなコレクターってそれを評価する第三者の存在が欠かせないような気がします。別に変な意味じゃなくって、そういうものでしょ。自分のコレクションを見ながら、これをあの人に見せたらどんなリアクションをするだろう?とか高価なコレクションなら人々を驚かせ、羨望の眼差しまで獲得できるかもしれません。そういうのを想像しながら、グヘヘヘッとなっています。まぁろくなもんじゃありません。

 ただ、実際には外向きと内向きの中間のあたりをフラフラしている人もいると思うんです。別に人に見せたくって集めているわけじゃないんだけど、まぁ、見たいって言うんなら見せてあげないこともないけどね、っていう人です。なんとも煮え切らないところがイライラしますが、たぶんこういう人が割合として最も多いんじゃないかと、何の根拠もありませんが勝手にそう思っています。

 こういう人はほとんどの場合、害はありませんので、そのまま放っておきましょう。

 さて、内向きのコレクターとなると、聊か趣が変わってきます。

 この人たちは自分のコレクションを他人に見せたいなどという考えは全くありません。むしろ秘匿しておきたいくらいです。別に罪になるものや如何わしいもの、あるいは卑猥なものを集めているのではありません(たぶん)。彼ら(あ、私もでした)は、ひたすら自分の欲求のままに収集をしています。長い年月をかけて収集された膨大なコレクションはただ集めた本人の満足感のためだけに存在します。しかし、なかには集めることが目的になってしまった人たちもいます(あ、コレ私です)。1巻から買っている漫画があると、もう別に読みたいと思っていなくても買い続けます。惰性で集めていますよね。少なくともこのコレクションをここで終わらせるわけにはいかない、という強い使命感はありません。さらに別のタイプとして、とりあえず手に入れて自分のものにすることにのみ満足を感じる人もいます。なんだよ、同じじゃないかって、う~ん、ちょっと違うんですよね。惰性で収集する場合、まぁ、何となくそろってないと気持ち悪いからね、って感じです。でも後者の場合は一時的に激しい欲求に苛まれます。喉の渇きのような苦しい欲求です。この苦しさから逃れるためにはターゲットを手に入れるしかないわけです。これはもう病気かもしれません。

 困ったことに内向きなコレクターは、自分がそうした欲求の虜になってしまっていることを他人に容易に察してもらえません。いやぁ、困ったものです。

 ま、こんな人はめったにいないと思いますけどね。

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 それに、最近は「オタク」と呼ばれる方々が市民権を拡大しているようで、そうしたコミュニティに救いを求める道も増えてきたことですので、以前ほど深刻ではないでしょう。あ、一応念のために申し上げておきますが、先ほど「オタク」と申し上げた方々とは、従来のなんか汚くてコミュニケーションが苦手な人々という認識ではなく、特定の分野に対して信じられないくらい深い知見を有しており、それは学術会議の先生方も真っ青になるほどです。かといって虚栄心などとは無縁で、人間関係の構築は苦手ではなくあまり興味がないといった方々です。この方々の深くて鋭い知見の一端をゆっくりボイスと絡めてユーチューブ動画で拝見するのは私にとって至福の時間なのです。だから、メディアの印象操作に乗ってバカにしてはいけないのです。ハァハァ…。まぁ、いいんですが。

 確かに、変な人もいますからね…。

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 話が変な方向に行きそうなので、そろそろ終わりますが、人間の収集癖は完全に欲求に根差したものなので、まずなくなることはないでしょうね。

 ちなみに、私も内向きなコレクターであり、本や漫画などをなんとなく買い続けています。でも、私の抱えている問題は、収集することにあるのではなく、いらないものを捨てることができないところにあります。そう、現在マイブーム(死語?)の断捨離です。

 そこで、また、ちょっと思ったんですが、私の場合はいらないものを捨てられずに増え続けているのであって、収集しているわけではないのでは?…はて?では今回のこのブログの意味はいったいどこに…。