さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

54 何が何でも断捨離した~い!

 みなさん、こんにちは。

 

 私、何を隠そうここ5年くらい断捨離に憧れ続けています。

 ということは断捨離なんてまるでできていないという事なんですが、最近は特にその気持ちが強くなってきており、何が何でも断捨離した~い!という少し壊れた人みたいになってきました。

 断捨離したいと思うまでの私は、どちらかというと部屋はゴチャッとしているほうが落ち着くよね、なんて思っているほうでした。当然掃除や片付け、整理整頓などは必要最低限やっておけばOK!という感じでした。では、なぜ断捨離したいと思うようになったのかというと、…よくわかりません。すみません。ただ、何となく部屋でボーっとしていた時に、なんかごちゃごちゃしていて気持ち悪い!と感じてからではないかと思います。

 ずっと前から断捨離という言葉とその意味はぼんやりとわかったつもりでいましたので、とりあえずいらないものは捨てて、すっきりしたい。将来的には江戸時代の武家屋敷みたいに何もない部屋に蝋燭と火鉢だけみたいなのがいいなぁ、って思っていました。鬼平犯科帳の影響でしょうか。

 でも無理です。TVやパソコンは要るし、釣り道具も電子レンジも扇風機も必要です。他にも捨てるなんてもってのほかなものがたくさんあり、とても断捨離どころではありません。そもそも膨大な本(ほとんど文庫本や漫画)を目の前にしながら、なのをほざいているのかと、もう1人の私にいつも叱られています。

 そういうわけで、断捨離したい!と発作のように思い立った後、でもやっぱり無理~!という感情の上り下りを繰り返してきました。ちょっと面白いのは、したい!と思う時って基本的に感情的で何の根拠もなく勃然と湧き上がってきます。別に何かを見たわけでもなく、誰かに何か言われたわけでもありません。ところが無理~!となるのは極めて具体的な理由によってクールダウンされていきます。例えばクローゼットを開けてみると、使いもしない石油ファンヒーターや電気ストーブが転がっています。壊れたパソコンやモニターがあれば、今は単車を持っていないのにヘルメットが2つあります。それらを眺めただけで、フーッとため息をつき、それと共にスーッと冷めていきます。

 全くよくできたものです。

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 まぁ、そもそも断捨離!断捨離!と騒いでいる時点で、できない!できない!と言っているようなものですよね。いらないものを捨てる、必要以上にものを持たない、ってできる人はそんなこと言いわないですから。私のようにそれができない人間からすると、そういう人がかっこよく見えて仕方がありません。スマートでクールな生き方(なぜか横文字的)って言うんでしょうか、無駄のない感じがたまりませんね。ああ、そんなふうに暮らしてみたい!って思うんですけど…なかなか、なかなかなんですよね。

 断捨離できない人(私)って、できる人の逆で考えれば、いらないものを捨てられない、必要以上にものを持つ、ってなります。今、書きながらバカみたいだと思ていますけど、一応細かく考えてみます。

 いらないものを捨てられないのは、なにも「もったいない」という気持ちだけではありません。と言いますのもwiki選手によると断捨離ってこの「もったいない」という感情から解放されて…ってありました。でも壊れたパソコンも使えるのかわからない石油ファンヒーターもいりませんし、もったいないなんて思っていません。はっきり言いますと、捨てるのが面倒くさいだけです。エッヘン!…あ、すみません。

 さらに、何度か断捨離発作により捨てるものを選択したことがありますが、その度にそれをどのような経緯で手に入れて、どのように使っていたのか、そうした思い出で胸がいっぱいになっちゃいます。ああ、このスーツは就活の時に着ていたなぁ。もう着れないけど。おお、この習字セットは小学校の頃からのものだ。なつかしいなぁ。もうカビが生えて使う気にもならないけど。みたいな感じで、サルのくせに妙にセンチメンタルな気分になっちゃいます。ん?これってもったいないっていう感情でしょうか?そうではなくって自分の思い出を捨ててしまうような切ない気持ちなんでしょうね。あ、でもそういう気持ちから自分を解放するのが断捨離だとしら、苦行としか言いようがありません。そういえばヨガの影響を受けた考えだとか…まぁ、関係ないですか。

 続いて、必要以上にものを持つことについてお話しますと、ズバリ独占欲と収集癖の力によるものですね!あ、力によるものって自慢することではありませんでした。

 例えば本なんですが、できる人は図書館で借りて読んでから買うのかどうか決めるそうです。欲しいものも一度踏みとどまって考えるし、そもそもものを買う時にその買ったものが他の機能や効能を持っているのかどうかまで吟味する人もいます。で、大体今はいらない、となるそうです。私のようなできない者からすれば鋼の精神力としか言いようがありません。

 欲しいものがあれば、何としても手に入れる。なぜそれが必要なのかはもう忘れてしまったけど、今はそれを手に入れることこそ最重要事項なのだ。シリーズものならば、それに対して今興味があるとかないとか関係なしに、揃えておかなければ気が済まない。まぁ、こんな感じですね私の場合。ですから、買ってから一度も読んでいない本とか、数年前に買ったけど、ビニールの包装すら外していないゲームとかが部屋に転がっているわけです。どうしようもありませんね。

 こんな感じなので、私はこの先到底断捨離なんてできそうにありませんが、外遊びをするときは、案外あれこれものを持とうとしません。まぁ、ものがいっぱいあると運ぶのが大変ですし、別に普段の生活を外でしたいわけでもありませんしね。ですから、極力一つの道具に多くの役割を求めます。ナイフが良い例ですが、食材のカットだけでなく、現地で箸やスプーンを作るのにも使います。炭をつついたりもします(あんまりやると切れなくなっちゃいます)。できるだけ装備を少なくして、あとは現地で考える。できないことはできませんし、できることを考えてやるのが楽しいんですね。最低限の道具で自然の中に溶け込んでいく気持ち良さ。ん?これって実はアウトドア断捨離では…?フム、知らないうちに断捨離していたのかもしれませんね。私もまんざら捨てたものでもないようです。エッヘン!

 このアウトドア断捨離の精神を昇華させて少しずつ物質的な執着を取り除いていくようにできるといいですね。少なくとも壊れたパソコンのように使えないものは面倒くさがらずに捨てて、使わないものは写真に収めて捨てるようにしてみましょうか。

 できるだけゆっくりと急がずに。

 あまりに急激な断捨離マインドに陥ったため、自分のものだけでなく家族の持ち物まで捨ててしまい、さらにエスカレートして家族自体捨ててしまった人の話も聞くことがあります。まぁ、家族を捨てたのか、家族に捨てられたのかは知りませんが。

 

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 このところ、技術の進歩が著しくて新しいものや便利なものが登場する度に購買意欲をチクチクと刺激されますが、何となく私はその流れに乗り遅れちゃったみたいです。でも、私としてはそのほうが都合が良いようです。これ以上あれもこれもと欲しがるのは、なんだか誰かの戦略に操られているような気がして気持ち悪いですからね。

 もうかぶることもない麦わら帽子が3つ重なっているのをぼんやり眺めながら、そんなことを考えていました。