みなさん、こんにちは。
「あのなぁ、うまく嘘をつくコツはなぁ…」
ふと、恩師のことを思い出して、しばらく考え込んでしまいました。
その方は、以前勤めていた会社の上司で、既に引退されています。小柄ですが昭和の男前的な顔立ちで、ドスのきいた声で毛筆は達人の域でした。その割に細かい作業が苦手で個人的な業務はいつも部下任せ。ただ、飴と鞭の使い方がうまくて、当時20人くらいの部署の統制をきちんととっていましたし、建設業にありがちなクレーム等の問題解決について、ここでも硬軟織り交ぜた対応により抜群のスキルを発揮した人でした。
私は妙にかわいがられて、スキンシップと称して投げ技や締め技をよくかけれたものでした(柔道の有段者でもありましたから)。あ、一応私は体育会系ですので、そういうスキンシップには慣れていたせいか、むしろ喜んでいたような気がします。…Mっ気があるわけではありませんよ。
で、冒頭のセリフについてですが、その前に「嘘はまぁいいが、人を騙すのはいかん」と言われたので「同じことじゃないんですか?」と聞き返したら「同じことなわけあるかぁ!」と鳩尾に突きを入れられました。「???」となっている私に「咄嗟についてしまった嘘はまぁ赦してやる。程度によるがな」ここでギロッと睨まれました。続けて「でも、最初から騙すつもりでついた嘘は絶対赦さん!」とここでチョークスリーパーで堕とされそうになりました。要するに悪意のあるなしで、その嘘について情状酌量してやるというか、考慮してやるといったことをおっしゃっていました。そこでピーンと閃いたので「じゃあ、私も…」と言いかけたら「ただし、お前の嘘は全部赦さん!」と理不尽なげんこつをくらいました。漫画の世界にありがちなシーンですが、実際にされてみると、そりゃあとんでもないことですよ。鳩尾に突き、首絞め、頭にげんこつですからね。まぁ、そのような扱いを受けても、当時の私はへらへらしていたように思います。…本当にMっ気があるわけではありません。
考えてみると、世の中嘘だらけです。
政治家やマスコミの報道、ネットの記事、商品偽装や耐震偽装もそうですよね。おせじや建前やきれいごとと言われる言葉もそうですし、裁判でも嘘ばっかりでしょう。もっと言えば小説やドラマも嘘ですし、スポーツの世界でもシュミレーションとかいう嘘があります。だからサッカーはあまり好きではありません。
Wiki選手によると「嘘とは事実ではないこと。人間をだますために言う、事実とは異なる言葉」だそうです。まぁ、そうですよね。
でも、時には人のためにつく嘘もある、とよく言いますね。本当のことを言ってしまうとひどく相手を傷つけてしまう時や、嘘をついてでも物事がうまく運ぶ場合でしょうか。…前者はわかりますが後者は…たぶん間違っている場合が多いですね。
私の父は既に亡くなっています。膵臓がんでした。当時、母や兄と相談して父には病名は膵臓炎と言うことにしました。まぁ、嘘ですね。しかし父は大きなことを言うわりに心が弱く臆病だったことを皆知っていたので、そのようにしました。たぶん父も薄々気が付いていたと思います。だって毎週山越え200㎞の道のりを車で帰って見舞う私を見れば、自分の病気が抜き差しならない状態であることぐらいわかりますよ。でも、最後までお互いにそのことには触れませんでした。
ですから、前者はわかります。でも後者はシャレになる場合とそうでない場合がありますよね。例えば実際の誕生日と違う日をお誕生日会に設定しちゃった場合、みんな予定していますからね。まぁ、祝ってもらう本人が納得しているならいいじゃないですか。でも、安い単価で契約してしまったものの今さら言えないので、違う肉を混ぜちゃえ!とか鉄筋を減らしちゃえ!っていうのは間違っているでしょ。本来、契約が切られるのを覚悟して相手と交渉するか、赤字覚悟で契約通りにするか、しかありませんよね。でもそうしない人がたくさんいます。建築やエクステリアの業界にもたくさんいます。さすがに建物の強度にかかわる嘘や不正を目にしたことはありませんが、配置にはじまって細かい仕様など間違っていても平気で工事を進める人がいます。自分が発注し忘れていたくせに、お客さんには納期が異常に長くかかると嘘をついて別の商品に変えたりすることなどよくあることです。彼らの言い分は「今さらそんなこと言えない。そんなこと言ったら利益が減る、工期が伸びる」だそうです。自分の立場や利益しか考えていなくて、相手(お客さん)のことなどどうでもいいみたいです。
こうしたことは他の業界でもあることでしょうが、中には最初から騙してやろうと企てている輩もいます。これなんか私の恩師から柔道技でコテンパンにやっつけてほしいものです。でも、最初からなのか途中からなのかは曖昧でよくわかりませんよね。だから、仕事をする上では極力嘘はつかない、あるいは結果的に嘘にならないようにすることは大切だと思いますよ。嘘をつかれた側が、強い悪意を感じてしまうととんでもないことになりますからね。
さて、話を恩師の言葉に戻しますが、じゃあ咄嗟についた嘘ってなんでしょうか?
それは簡単ですよね。このままでは自分の立場が悪くなる時や、責任を問われる時や、嫌われちゃいそうなときですよね。でも、嘘は良くないんじゃないですか?と聞いたら「そいつが嘘をついとることぐらいお見通しなんじゃ!それぐらいお前にもわかるじゃろうが!!」いっいや、わかる時もあればわからない時も…、っていうか首を締めながら言わないで!と言えない私。とりあえず手を解いてもらい「どうやったらわかるようになるんですか?」と聞いたところ、ちょっとはにかんだようなしぐさをしながら「ワシもいっぱい嘘をついてきたからわかる」だそうです。なんだ、このおっさんは!とも言えない私。
まぁ、嘘のない社会がどんなものか想像すると、それはまたそれでギスギスしたものになりそうですよね。若いころ、失恋して落ち込んでいた時に会社の事務のおばちゃんから「いやぁ、いい天気で気持ちがいいねぇ」って言われ「そうですね。やっぱり晴れると気分がいいですね」なんて心にもないことを言いました。本音を言えば「今そんな気分じゃねぇんだよ!黙ってろ!!」って気分でしたが、それを言ってしまったら、次の瞬間に私はこの世に存在していなかったかもしれません。それに私の受け答えは話を合わせただけで「天気がいいと一段とあなたも美しく見えますね」なんて嘘を重ねてはいません。ほどほどの嘘は社会の潤滑油として必要なのかもしれません。ただし、誰も傷ついたり被害に遭わないという条件は付きますけど。
それにしても、最近はTVや新聞だけでなくネットからも洪水のように情報が流れてきます。もちろん正しい情報もあれば間違った情報もあります。一昔前なら新聞がこう言っているならこうなんだろう、TVがそう言っているならそうなんだろうと無邪気に思っていたものですが、いろいろな媒体からの情報に触れると、あまり信用できなくなっています。ましてや嘘なんかつかれた日には恩師を呼んで折檻してもらいたくなります。なぜなら、たまにみかけるオールドメディアによる嘘の情報って、悪意と思われても仕方がない意志が感じられるからです。
ところで、恩師の結論として「あのなぁ、うまく嘘をつくコツはなぁ、普段嘘をつかんことじゃ!約束は守れ。正直に言え。間違ったことを言ったらすぐに訂正せい!!そうすりゃ人は信用するじゃろうが。そこで必殺の嘘をつくんじゃ。皆コロッと騙されるわ!わかったかっ!!」わっわかりましたから、こめかみをぐりぐりするのやめて!と言えない私。フムフム、確かに、相手に信用させれば切れ味鋭い嘘がつけますね。絶対にばれそうにないし。こりゃ使える。そう思い、こめかみをぐりぐりする恩師の手首をつかみながら「で、切れ味はどうでした。相手はコロッと騙されましたか?」と聞いたところ「せっかく信用してくれとるのに、なんで騙す必要があるんじゃ!」と言って左足の腿を蹴ってから、恩師はどこかへ行ってしまいました。
なんなんでしょう?
今でもこの恩師のもとへ年に一回は挨拶に行きます。
以前のような激しいスキンシップはありませんが(どうやら奥様に叱られたようです)、相変わらずドスのきいた声でお説教をしてくれます。
嘘のコツを聞いて以来、私も切れ味鋭い嘘をつくために(?)…人から信用されるよう気をつけていますが、引退された恩師にお会いする度に「相変わらずお若いですね」と言っては「嘘をつくな!」と軽いげんこつをありがたくいただております。