さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

こういう時はこうするもんだ!ってヤツですね。なくなっちゃったけど・・・。

 みなさん、こんにちは。

 

 昨日書いたように、今日の休みは「孫子」を読んでました。

 でも、昼まで寝てたのであまり進んでなくって・・・。

 明日は検査のため病院に行きますが、それが終わったら最後まで読んじゃおうと思ってます。

 その本にあるマキャヴェリ楠木正成の項も楽しみなんですよ。

 

 さて、ニュースで小林礼奈っていう方が、以前ショッピングモールで我が子とはぐれてしまった時のことを語ってましたね。

 大声で子供を呼ぶんだけど、誰も一緒に探しましょうかと声をかけてくれなかったことから、「まだまだ私 人に期待して生きている!!ダメだね、期待しないと考えれば楽になる!よし、『期待しないで生きる』をテーマに飛躍するぞう、、、!」と、心に決めたそうです(本文より)。

 少し前の私なら、あ、それわかる~!って思ったのかもしれませんが、今は違和感を感じるようになっちゃったんですよねぇ。

 別にこの方(知らない人だし)を非難するつもりはないんですよ。

 ただ、この時のことを記事を読む限りでは、周囲の人に子供を見失って困ってる私のことを察してほしかったっていうことですよね。

 コレ、今はかなり無理があると思ってます。

 別にこの方が虫のいいことを考えてるとか言ってるんじゃなくって、世の中がそういう風ではなくなってきてるって思うんですよ。

 人が何かをしようと判断する時、よく言われるのが損得ではなく善悪で行いなさい!っていうのがありますよね。

 でも、ほとんどのケース、とりわけこの親切というかおせっかいというかそういうことに関しては、元から刷り込まれたプログラムみたいなものが機能するんだと思うんですね。

 こういう時はこうするもんだ!ってヤツですね。

 困ってる人がいたら手を差し伸べるべきだっていうのは、それが良いことだからっていうよりも、そうするもんだってことで生きてきた人なら当たり前のようにできますが、そうではなく、一々それを頭で考えちゃう人達(あ、私もかも)はそう簡単にはいかないものです。

 こういうのって、田舎にはまだ残ってますけどね。

 田舎の場合、人が少ないから結構皆知り合いみたいなところもあるし、困ってる人が近くにいた場合、手を貸さないなんて態度でいようものなら後で何を言われるかわかりませんからね。

 良い悪いではなく、そういうものだったんですね。

 それに、そういう社会では人と人との距離が近いというか、よく言われる同調圧力みたいなものもあるわけで、ある意味、助けてもらう権利を行使するためには、その他のしきたりに従う義務があるみたいなところもあったと思うんですよ。

 今、そういうの無くなってるでしょ。

 面倒くさいって言われるし。

 それに、うっかり手を貸したりしたら、あとで面倒なことに巻き込まれるとか、良かれと思って子供を探して見つけた場合、その子の手を引いて歩いてると誘拐犯のレッテルを張られかねないなんて思っちゃうじゃないですか。

 ですから、期待するとかしないとかではなくって、そういう世の中になっちゃったっていうことを自覚なさった方が良いと思いますし、もしそれでは生きづらいとお考えならそういえばいいと思うんですね。

 期待しない方がマシなんて言う考え自体、今の風潮を後押ししてるでしょ。

 記事を読んでそんなことを思っちゃいました。

 

 

 

 コメントやブックマーク、ブックマークコメントを頂き、ありがとうございます。

 とっても嬉しいです!

 今後とも、よろしくお願いいたします。