みなさん、こんにちは。
さ~て!今日からお仕事頑張りますよ~!
で、昨日、真田幸村についてちょこっとお話しましたが、大事なことを書いてなかったのでちょと補足しますね。
真田幸村が勇名をはせた大坂の陣で、真田隊は有名な赤備えでした。
これは元々武田家の家臣飯富虎昌が始めたもので、隊員すべて朱色に統一した甲冑を身に着けていたそうです。
それが弟の山県昌景に引き継がれ、武田軍団の精鋭部隊として恐れられていました。
後に武田遺臣を引き受けた徳川家の井伊直政がこれを引き継ぎ、井伊の赤備えとして有名になりましたね。
で、この赤備えっていうのは戦場でとっても目立ちます。
黒っぽい軍装がほとんだだった戦場に赤い甲冑を身につけた部隊がいたわけですから、そりゃ目立つなっていう方が無理に決まってます。
そもそも武勇に優れたものが主君からそれを賞して与えられるのが赤(朱)色で、甲冑のほかにも槍などにもそれが見られます。
まぁ、朱色って当時は高価だったそうですし。
当然目立つので敵にも狙われやすくなります。
そして、むしろそれを望んでるようなところがあるのが赤備えなんですね。
そういうわけで、赤備えの部隊に配属されるって言うことは、他の部隊にいるときよりもずっと激しい戦闘をしなければならないってことになります。
何と言っても精鋭の証みたいなものですからね。
ですから、戦に臨むにあたって生きて帰ることはとりあえず横に置いといて、いかに勇猛な戦働きをするのかってことを最優先に考えていたってことになります。
となると、その赤い連中に狙われた部隊はたまったもんじゃありませんよね。
半分狂ったような連中ですからね。
名誉なぶん、死傷者が多く損耗が激しい部隊だったと言えますね。
井伊直政が関ヶ原の戦いで負傷しちゃった(この時の傷が元で亡くなったそうです)のも頷けます。
そんな赤備えの部隊を拵えた真田幸村の気持ちって、わかりますよね。
甲冑を身につけることで覚悟を決め、いざ戦闘になると半ば狂ったように敵に襲い掛かる赤い部隊です。
勝つか死ぬか、それだけしか考えていないような連中だったからこそ、寡兵でありながら家康の本陣近くまで殺到できたんでしょう。
味方はそれを見て勇気が出ますし、敵は恐れおののいたことも容易に想像できます。
その代償はとっても大きかったんですが・・・。
でも、この時代の人たちが赤備えのように格好をつけるっていうことは、それなりの覚悟をしなければできないことだったんですよね。
翻って、現在TVなどに顔を出してる政治家やコメンテーターなどの人々って、格好つけて、賢し気なことを言ってますが、その覚悟のほどはいかがなものか?甚だ疑問です。
昔の人だって、格好をつける以上、それなりに覚悟を決めて責任を果たしたものなんですけどね。
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