みなさん、こんにちは。
文春オンラインではいじめについて旭川の事例に続き山形の事例も記事にしていますね。
記事を読んで感じるのは学校側の隠蔽体質や不誠実な対応で、第三者委員会なんていう怪しい委員会もきちんと機能していないっていうことでしょうか。
事の重大さを感じているはずの学校側は、どういうわけか保身に血道を上げてる印象で、被害者はもちろんそっちのけ、加害者さえも端っこに追いやって事件自体をうやむやにしてしまおうとしてるみたいに思えます。
いい年をした大人が、いかにして自分たちにとって不都合なことを表ざたにしないようにアレコレ小細工をしながら、時間切れを待ってるような姿をみると嘆かわしいとさえ思っちゃいますね。
そこには、将来に絶望した子供への思いなどかけらも感じられません。
彼らは先生ではないんでしょうね。
ただ、こうした報道ばかりになってくると先生と呼べる方々はやりにくくなる一方ですよね。
保護者からの疑いの視線は強まる一方ですし、子供たちも先生を信用しなくなっちゃいますからね。
ですから、並行していじめに対する成功事例や取り組みもどんどん報道するべきだと思うんですよ。
しかし、たまにそういうのを見て思うのは、きれいごとばっかり・・・。
よくあるのは、お話をして加害者の子供たちの抱える問題を解決することで克服しました!なんて話ばっかりです。脳みそ腐ってんじゃないの!?って思うんですよ。
こういうのを見て、再び希望を持つ被害者の子がいると思いますか?
逆にいじめはなくならないし、将来に絶望する子は減らないって思うんですよ。
だって、先生は被害に遭ってる子から見たら、味方じゃないって思いますからね。
いじめって言うのは加害者側からしたら、別に被害者の子を殺害したいわけでも、その子の将来をめちゃくちゃにしたいわけでもないのかもしれません。
面白半分でやってるだけなのかもしれません。
同時に、被害に遭ってる子の気持ちも想像できていないんだろうと思います。
また、いじめに加わるのを拒否したら、今度は自分がターゲットにされちゃうっていう恐怖心もあるのかもしれません。
どっちにしても歪んでます。
この歪みに対して穏やかな説教(なんか友達感覚の気持ち悪いやつ)で、対応できるとは思わないんですよね。
なにより、それをみた被害者のこの絶望は深まる一方ですからね。
やはり、ウィル・スミスばりのビンタが一番です。
停学や退学処分にしたり、警察に引き渡す前に、暴力教師の汚名をかぶってでも、嫌われ者になってでも苛烈な指導をする先生はいないものでしょうか?
校長も、つまらない隠蔽工作に励むよりも、こういう先生の代わりに釈明してる方がよっぽどいい仕事してるって思うんですよ。
私は古い気質なのかもしれませんが、中学のころ、涙を流しながらいじめをしていた連中にビンタをしていた先生の姿が忘れられないんですよね。
体罰について、世論は当然否定的だとは思ってますが、子供は子供ですからね。
痛みを伴わなければ抑止できないことだってあると思うんですよ。
大切なのはいじめにあってる子の側に立つことですからね。
そういう話、聞きたいんですけどね。
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