みなさん、こんにちは。
大阪のビル火災では大変な被害が出ました。
お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
また、現在治療中の方々が一日も早く回復なさいますよう願っております。
それにしても大変ひどい事件です!
放火・殺人というよりテロですよね。
最初に火災のニュースを見たときは、また火事か!最近多いよねぇ!なんて暢気なことを考えてましたが、20人以上が心肺停止?!と聞き、何だそりゃ!とびっくりしました。と同時に、これって放火なんじゃないの?って・・・。
なにしろ2年前の2019年に京都アニメーション放火殺人事件がありましたし、最近電車内で火をつける輩がいましたからね。
そしたらやっぱりそうでした。
容疑者の61歳の男は現在治療中で危険な状態だとか。
紙袋の中に入れていた可燃性の液体を暖房器具の前で蹴り倒して火をつけたとか言われていますね。
1人ずつ殺害したわけではありませんが、この放火という行為は大変大きな被害をもたらしますので、昔から厳罰が科されます。
犯人もそれはわかっていたはずなんですが・・・、わかっていなかったんでしょうか?
どっちにしても、実際にこれをやられてしまうと、防ぎようがありません。
現場になったのは精神科のクリニックとのことですが、他にも狭い空間に大勢の人が集まるところは他にもたくさんありますからね。
こういう事件が発生する度に、犯人の精神状態によっては減刑される、あるいは無罪になっちゃうのかな?っていうことと、こういう事件から身を守る術はあるのかな?って思うんです。
精神耗弱や精神喪失などの言葉が凶悪犯罪の裁判で盛んに使われますね。
所謂責任能力についての判断ですが、wiki選手によると、明治以降欧米の近代法に従い、行為者の内面や状況を積極的に評価する傾向が強まったことに由来するようです。
確かに、事件を起こした者について詳らかにすることは大切なことだと思いますが、ちょっとそっちの方に振れ過ぎてるような気がするんですよね。
もう少し客観主義の方に戻してもいいんじゃないかと思うんですよ。
すなわち、その行為と、それによってもたらされた効果(被害)によって刑罰を決めるようにしてもいいんじゃないかなって思うんです。
さっきまで仕事を当たり前のようにこなしていた人間が、急に錯乱して犯罪を犯し、それは心神喪失なので無罪!ってなると、それこそ被害者は救われませんからね。
そして、なんでそんなことをするのかわかりませんが、後のことなどどうでもいいと思ってるような人間のすることを、あらかじめ予測することは不可能です。ですから、防ぎようがありません。
これは勝手な想像ですが、今回の件も、ニコニコしながらやってきた人間がいきなり紙袋を暖房器具の前に置き蹴飛ばしたとして、それを誰が防げるでしょうか?
火がつき、燃え上がったことで非常事態を認識して逃げるのが関の山ですし、今回のように入り口近くで火をつけられたら逃げることもままならなくなっちゃいます。
まだ何もしていない人を見て、ん?コイツ怪しいな!なんて思う人の方が変わってるって言われますからね。
今の社会は基本的に信用によって成り立っています。
でも、ごくわずかにしてもこういうことをする人間もその中にはいますね。
こういう問題を社会のせい!などとは言いたくありませんが、昨今の風潮はその信用とか信頼みたいなものを少しずつ蝕んでいるような気がします。
要するに、社会全体がうまく機能することよりも、個人の欲求の方を優先してもいいかもね!っていう感じです。
子供の頃に、人様に迷惑をかけてはいけない!ましてや危害を加えることなど絶対にしてはいけない!って教えられた世代(そんなに年じゃないけれど)としては、今起きていることって、ひょっとして起こるべくして起きてることなの?とさえ思ってしまいます。
・・・・、それでは、やっぱり防ぐことなんてできないように思うんですよ。
私はひねくれ者のくせに、妙に古くて融通の利かない考えを持っていますが、少なくとも人の迷惑なんかお構いなしでやりたいことやっちゃうよ~!なんて人間にはなりたくないんですけどね。