さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

533 何となく、自己責任と厳罰化が進みそうな感じ。

 みなさん、こんにちは。

 

 大勢の人命を奪った犯人など助ける必要はない!と思う人もいれば、いななる人物であれ命は救われなければならないと思う人もいるでしょう。

 Yahooニュースのコメ蘭には、事件を詳らかにした上で然るべき刑に処されるためにも今は死なせてはならないっていう意見が多く見られました。

 大阪ビル火災の件です。

 でも、実際に治療に当たっているお医者さんや看護師さんなどの医療関係者の方々は、そんなことよりただ目の前の患者を助けることに没頭されていることと思います。

 病気やケガを抱えて運び込まれた患者を前にして、こいつは犯人だから適当でいいや!なんて思うはずないですよね。その人が誰なのかさえわからない状態であっても、とにかく治療に専念されると思います。

 その姿勢には心から敬意を抱かずにはいられません。

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 ただ、そうした姿勢は医療従事者の方それぞれが、個人的に育まれたものなんでしょうか?私はそうではないと思うんですよ。個人差はあるにせよ、医療に携わる道を選んだ時点で、あるいはその勉強や訓練(研修?)を通してほぼ共通に先人から叩きこまれるものだと思っています。

 まぁ、中には変なのもいるんでしょうが、基本的に「医」という括りに帰属する人々にはそうした崇高で強靭な意思があると思っています。

 でなければ汚物や血や人の生死に関わるお仕事など続けられるものではないとも思うんですね。

 どうしてこんなことをお話するのかというと、人は帰属する社会や組織の価値観や習慣に、あるいはそこで培われる倫理観に従って行動するものだよね!って私は思ってるからなんですね。

 以前もお話したように、社会は法律だけで制御されているんじゃなくって、それ以前に習慣や倫理観によって営まれていると思っているんですが、最近習慣は破壊され、倫理観にいたっては様々な考えが乱立してるような気がするんですね。

 私だって、なんでこんなことしなきゃならねぇんだ!って言いたくなる習慣はありますけど、よほどのことがない限り従うようにします。それが本当に弊害でしかなくなった時に変えちゃえばいいと思ってますからね。

 自分がこうしたいって思うことよりも、とりあえずそれで丸く収まるならばっていう考えですね。

 一見、事なかれ主義みたいですが、悪いことはきちんと悪いって言えればそれでいいんです。葬式に喪服(まぁ、礼服ですね)を着ていくのは面倒ですが、そうすることでそれがつつがなく行われるのなら、それでいいじゃないですか!っていうことですね。

 そこで、無理やりチンドン屋みたいな恰好をすることはないと思いますし、故人に対して礼を失するような気がしますからね。

 で、今はどうかと言えば、少しずつこのチンドン屋みたいなのが増えてきてるような気がしますし、さらにはそれを何やってんだ!と咎めるのがはばかられるような雰囲気がありますよね。

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 こうした流れが進んでいけば、自ずと法律が最後の砦のようになっちゃいます。

 アメリカのように訴訟だらけの国になっちゃうのか、それとも中国のように政権にとって都合の良い法律で国民を締め上げる国になっちゃうのか、それはわかりませんが、何となく日本人にとって馴染まないような気がするんですよね。

 でも、間違いなく個人の自由(欲求による行動)が優先され始めると個人間の紛争は増えるでしょうし、それこそ自己責任論が幅を利かすようになります。そして、もはや法律による規制しか有効な手がないとすれば、厳罰化に向かいうのは火を見るより明らかです。

 私はそんな世の中はちょっと御免です。

 昔からある悪習は根絶する必要があると思いますが(例えばセクハラとか)、ただ単に個人の欲求を何でも叶えられるようにするための運動っていうのもおかしいと思っているんですよ。

 かつて、オウム真理教によるテロを日本は経験しています。

 犯人たちはそれが悪いことであると承知の上で実行したと思っています。

 その背中を推したのはその宗教なのか、それともそれに便乗して自分の中の鬱憤を晴らしたかったのかわかりませんけどね。

 でも、一昨年の京都アニメーションでの事件や頻発してる電車内での事件、そして今回の大坂ビル火災にしても、そこには誰かの指導や誘導などありませんよね。

 それぞれの個人が、衝動的に行ったのではなく、計画的に行っています。

 もはやそこには習慣も倫理観も存在しません・・・、これが一番の問題だとおもっています。そしてその上に刑罰による抑止も効果がありません。

 前回もお話しましたが、簡単に社会のせいとは言いたくないんですけど、なんとなくこれまで懸命にこの社会を維持し続けてきたものが崩れ始めた兆しのような気がするんですね。

 しきたりや習慣に縛られ、倫理観が頭をもたげるなかにあって、我々の自由なんていうものは思いっきり制限されたものでしかないようにも思えます。

 それでも、そのわずかに委ねられた自由の中で、多くの人々がささやかな幸せを見つけながら生きています。

 言ってみれば、そういう人々によってこの社会は支えられているっていうことだと思っています。

 今日は朝からどんよりと重々しい雲が立ち込めていましたが、先ほどから少し日が差してきたようです。

 たったそれだけのことでも、なんか気分がいいよね!って思えるほうが私はいいと思っていますよ。

 

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 ・・・・・・・、なんだか難しいことを書こうとするから、まとまりがない上に頭が痛くなってきちゃいました。おサルのおつむにはこのあたりが限界のようです。

 イ、イブを飲まなきゃ・・・。