みなさん、こんにちは。
昨晩のクローズアップ現代で「中絶の権利」っていうのをやってたので、そのことを書こうと昼間っからがんばってましたが、止めることにしました。
書いてるうちにこれはなかなか難しいぞ!ってことになっちゃって・・・。
まぁ、途中まで書いたものは取ってありますので、よく考えてまた書きますね。
で、何となくモヤモヤするので、北畠顕家のお話でもしてみます。
北畠顕家(1318~1338)。
鎌倉末期から南北朝時代の公卿・武将。
まぁ、貴族の子ですね。子って書いたのはこの人、満20歳で戦死していますから。
で、普通に親に従って従軍して戦死しただけなら平敦盛と同じようなものって思いますが、ところがドスコイ!この北畠顕家って満12歳で公卿(参議)になり、その後陸奥守、鎮守府大将軍(鎮守府将軍は自身の位階より低いものが就任するので、大将軍にして!って天皇にせがんでそうしてもらった)になっちゃいます。
位階や役職は生まれの良さでなれそうな気もしないでもありませんが、この人は後醍醐天皇の要請で東北の地から2度に渡って兵を率いて京に攻め上ります。
1回目は見事に足利尊氏を京から追っ払うことに成功しています。
そして2回目は鎌倉を落として美濃(岐阜県)のあたりまでは勝ち進み、やがて伊勢、大和、和泉と転戦して最後は石津の戦いで討ち死にします。
1・2回の上京の行軍速度は40㎞(600㎞を半月で走破)と言われ、後の豊臣秀吉の中国大返しよりはるかに速かったそうです。
こんな行軍が可能だったのは陸奥産の馬をたくさん使っていたからとも言われていますが、なんだか源義経以来の才能のように思います。
そういえば義経も騎馬による機動力の活用によって戦闘の主導権をつかむ性質の武将でしたね。
顕家もそういうタイプだったんでしょう。
ちなみに義経は満30歳で亡くなっています。
平家を討ち滅ぼした時が満26歳くらいの頃のこと。
私が大好きな上杉の謙ちゃんは満13歳で元服し栃尾城主になってます。
天才は早熟な人が多いですよね。
それにしても北畠顕家は亡くなったのが20歳の時ですので、ほとんどの戦いを10代でやってたことになります。
・・・、どうかしてるでしょ、この当時の子供は・・・。
しかも動かした軍勢は義経や若き日の謙ちゃんと違って万を超える数に上ります。
それを率いて2度も東北から京へ進撃したって・・・、いやぁ、実に爽快ですよね。
鎌倉幕府の滅亡から建武の親政を経て南北朝に至る時代、所謂太平記の時代って、はっきり言ってスターが少ないんですよね!
足利尊氏、新田義貞、楠木正成・・・、なんか、こう、華がないでしょ。
尊氏は勝ったり負けたりを繰り返すし、義貞は鎌倉を落とした時が頂点で、それからパッとしないし、正成は・・・、この人は身分が低すぎた・・・。この時代は未だ生まれによってその権威が左右されちゃって、それはすなわち率いる兵の数に表れちゃいます。正成がせめて守護大名クラスの人物であれば、また違うやり方もあったんでしょうけど、この人はいつも寡兵で戦ってましたからね。
その中で花将軍北畠顕家だけは必要なものがすべてそろっていましたね。
生まれは貴族だったし、そのおかげで10代半ばで陸奥守になっちゃうし、で、それを軽~くこなしちゃう政治的才能があったし、さらに軍事の才能に至っては当時のおっさんどもの度肝を抜くような機動性と大軍による破壊力を駆使していたし、足りないものなんて・・・、あ、あった。主君が悪すぎた~!
北畠顕家の主君はかの有名な後醍醐天皇なんですが、この人の建武の親政はめちゃくちゃだったので、尊氏をはじめとして多くの武士が離れて行っちゃったわけですし、顕家ですら「北畠顕家上奏文」と呼ばれる諫奏文(天皇を諫める文)を書いちゃいます。
これが戦死する1週間くらい前のモノだっていうから、泣かせるじゃないですか!
若年ながら陸奥の国に赴任してこれを治め、2度にわたる京への遠征をおこない、一時は足利尊氏を京から追い出すほどの働きをした北畠顕家って、日本史上屈指のイケメン候補だと思うんですがいかがでしょうか?
・・・ダメですか?
う~ん、それじゃあ、これなんかどうです。
北畠顕家は武田信玄よりも先に「風林火山」の旗を用いていたって話。
元々は中国春秋戦国時代の兵家孫子の兵法書よりとったものですからね。
顕家が知っていてもおかしくないし、この人漢文の名手ですよ。
文武両道に優れ、まだあどけなさを残す顔立ちながら、高貴な者が持つ責任を果たすために敢然と敵に立ち向かう花将軍。
どうです?いいでしょ!
それとも、あれですか、陸奥から京への行軍中、行く先々で食料目当ての略奪に精を出していたっていうのがそんなにマイナス点になっちゃいますか?
当時はみんなやってたんですよ。
・・・、顕家の軍勢が通った後は草木一本も残っていなかったそうです・・・。
まぁ、そのあたりは貴族中の貴族なので、何とも思わなかったのかもしれませんが・・・。
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