みなさん、こんにちは。
暑い日が続きますね。
TVではオリンピックとコロナ感染拡大の話題で持ち切りです。
そんな中、福岡県の保育園の送迎バスの中に置き去りにされた5歳児が亡くなりました。亡くなったお子さんのご冥福を心から祈っております。
こんなことって、普通に考えたらありえないことなんですが、実際に起きてしまうと、言葉もありません。
顛末はこの保育園の園長が一人で送迎バスを運転していたそうで、その子も降りたものだと思い込んでいたそうです。
また、担任の先生もその子は休みで、園長にその旨通知されてるものと思い込んでいたんだそうです。
それで何時間も車内に閉じ込められて…。
後からなら、園長はバスを車庫に停めた時に普通気が付くだろう!とか、担任の先生も教室にその子がいないんなら園長に普通聞くだろう!って言えますが、この思い込みっていうのはその普通~するだろうっていうのを日常的に妨げますよね。
今回の事件に関していえば、そうした思い込みを防ぐために点呼などをするようになっていたと思いますが、思い込みに任せてしなかったようです。
今さら後悔してもその子は帰ってきませんので、返す返すもとんでもないことをしたものだと思います。その動機があまりにも些細なもので、(まぁ、乱暴な言い方をすれば)つまらないことであるにもかかわらず、それによってもたらされた結果は小っちゃい子の命が失われたわけですから、そのギャップに戦慄します。
この保育園の園長や担任に明確な悪意はなかったと思いますが、無責任でいい加減だからこんな事態を引き起こしたんだ!と言われても仕方がありませんよね。そして、警察も業務上過失致死で捜査をするようです。
それにしても、この思い込みというのは仕事でもプライベートでもしょっちゅう顔を覗かせます。先日も買ってきたガリガリ君を「てっきり、冷凍庫にしまったものだと思い込んで」買い物袋に入れたまま放置していまい、気がついたら人肌ほどに暖まった液体になっていました。
このたとえは聊か不謹慎かもしれませんが、要するにその原因となった思い込みはこの程度のことだってことが言いたいのです。結果は天と地ほど違いますが…。
そして、この「てっきり~したものと思い込んでいた」というのと同様に、「たぶん言わなくでも~するだろう」とか、「そんな大げさなことをしなくても~になることはない」っていうのも日常的に、…主に仕事かな、良くある話です。
悪意があるのなら話になりませんが、そんなもの無くったって、重大な結果を招いてしまえば当然償いをしなくてはなりません。
だから、やっぱり思うんです。
予防できるのが一流で、起きた事態に対応できるのは二流だって…。
マンションに住んでる以上、火事が一番怖いですからね。今も玄関ドアの内側に、「タバコ・ガス・冷暖房・充電・etc.」と書いた紙が貼ってあります。財布を忘れて外出してもいいけれど、火の用心だけは柄にもなく極めて厳格にしている私なのです。
自分のちょっとしたミスや思い込みで、他人に迷惑をかけるのは嫌ですし、ましてや人命にかかわる事態を引き起こしたとなると、どう責任を取ったらいいかわかりませんからね。
今回の痛ましい出来事で、多くの人が思い込みの危険性と、それを防ぐことの重要性に気付いてほしいと思っています。
本来ならば、こうした犠牲がなくても、お互いに声を掛け合うことでできるはずなんです。どうか、そういう世の中になってほしいと思っています。