みなさん、こんにちは。
ある日、比較的大きな会社が採用面接をしたとします。
募集30人に対して、応募してきた人は100人を超えていました。
で、その応募した人たちのほとんどがリクルートスーツに身を包んでいましたが、そのなかにちょっと変わった人がいました。割合で言えば1割くらいでしょうか。
変わった人っていうのはその格好です。
ジーパンにTシャツという普段着の人がいたかと思えば、全身にタトゥー(あ、反社の人のじゃなくって、ファッションのヤツです)を入れた人、金髪に昔のヘビメタ(古っ)みたいなコスチュームの人や、短パンの人もいます。そしてよく見ると、どうも服装と性別が一致しないような人もいます。つまり、顔かたちは極めて男性的なんですが、化粧をしてスカートをはいていたり、またその逆であったりと。
で、結果的にこの1割くらいのリクルートスーツ(普通のスーツでもいいんですが)ではない格好の人たちは、全員不採用になったとします。
コレ、問題ですか?
この会社は、面接をするにあたり、服装などの指定は一切していませんでしたし、面接中、それぞれのいでたちなどには一言も触れていません。さらに、不採用の理由については何も言っていません。
コレ、問題でしょうか?私は問題ではないと思っています。
もう少し踏み込んで言えば、誰も悪くありません。
そうでしょ、会社は何も指定してなかったし、指定していない以上そのことに苦言を言ったりしていません。応募した人も、指定などされていませんから、それぞれが思い思いの格好で面接に臨んだわけです。
ところが、このちょっと変わった格好の人の一部が、「自分たちの格好を見て判断したのは許せない」っていうことで文句を言ったとします。さらにこれを応援するとして、妙な団体が支援し始めて、裁判沙汰になったとします。
どう思います?
これでもしも会社が悪いっていう判断が裁判所から出たとしたら、この国は終わってますよね。
もちろん、会社の方が、指定していなかったにもかかわらず、苦言を言ったり、不採用になったのはその格好のせいだって言うのであれば話は別ですが、そうでない以上、誰を採用するのかは会社の専権事項であり、自由なはずですよね。つまり、これに文句をつける人っていうのは、自分たちは好きな恰好(ポリシーがあるとか言うこともあるかな)で来ておきながら、相手の採用の判断の自由は認めないよ!っていうことですからね。おかしいっていったらおかしいんですよ。
どうしてこんな話をするのかっていいますと、先日朝日新聞の記事でトランスジェンダーの方が十年前に就職活動したんですが、その時に自分の認識している性と異なる性にふさわしい格好をしなければならなかったのが苦痛だったことから、日本の同調圧力などにみられる社会的・習慣的な慣習はおかしい!みたいな話があったんですね。それでちょっと書いてみたんです。
そして、昨日は自民党の簗和生衆院議員がLGBTなど性的少数者について「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」みたいなことを言ったようですね。たぶん、この記事はいつもの切り抜きで、前後の話が書かれていないと思いますので、批評できるものではありませんが、ちょっと私としては賛成できませんね。
マイノリティの権利をやたらと主張し、認めぬものを攻撃する考えも、おかしいと思いますが、今も昔も性については単純化できないものなのに、生物学を出して頭ごなしに言ってるのだとしたら、やっぱりおかしいと思うんですよ。
まぁ、最近メディアを通して、やたらとひどい押し付けがされていますので、それへの反発なのかもしれませんが、この国会議員さんの話(の一部)を記事で読んだ時に、一つ思うことがありました。
先ほどの面接の話に戻りますが、面接を受けに来た人のなかにいた、顔かたちは極めて男性的なんですが、化粧をしてスカートをはいていたり、またその逆であったりする人たちのことを、目の前にいる人は本心ではどう思っているのか?ってことです。
きれいごと抜きで話せば、気持ち悪いとか、変だとか、訝しいとか、はては汚らわしいとまで思う人がいるのかもしれません。口には出さなくても・・・ですよ。これについてはそれぞれの人の個人的な思いなのでどうしようもありません。で、こうした心の働きを、「それは間違ってる!あなたは悪い考えを持っている!あなたは寛容な心がない!」みたいに言われても困っちゃいますよ。でも、メディアや自称リベラルな人たちってそういうことに血道を上げてるように思えるんですよね。
何度も言いますが、そんなことをしても、今、性について悩んでいる人の助けにはならないと思っています。また、そうした人達のために法律や制度をごっそり変えることを良いことだと思っていません。だって、今のジェンダーについての話って、それこそ同調圧力を求めてるとしか思えませんもの。
こうしたことは時間がかかる問題なんです。
そして、強要されて、仕方ないから表向きLGBTなどに理解があるようなことを言ってるようでは、いつまでたっても問題は問題のままですよ。で、たまに保守を気取った人々による原理的な話(同性愛者に子供ができないのはあたりまえですからね)を使って反撃するから、ますます押し付けが強くなるだけです。
もう一度整理しますが、LGBTなど、これまでなかなか受け入れてもらえなかった方々についてできることは、そうした人々の存在を周知することと、それを理由に差別とか攻撃を加えてはならないということも周知する、これだけです。そして、こうした人々について、快く思っていない人がいることも同様に周知するべきです。その際、どっちが正しいとか、どうしなければならないとかいう押し付けはなしですよ。
もし、性的マイノリティの方々がBLMのリーダーのように、自分たちは虐げられてきたのだから、その分は返してもらって当たり前だ!なんて言う考えなら、残念ながら、それは社会にとって仇をなすものになっちゃいますし、当然厳しい対立の当事者になっちゃいますね。
LBGTなどの性の悩みは本人の主観であって、誰かに強制されたものではないでしょう。そして、その自由は認められるべきだと思いますが、同時にそうした人々に対する良くも悪くも他者が抱く印象や気分もその人の主観であって、その人の自由でしょ。
もちろん、ネガティブな感情からポジティブなものに変わるようになるといいんですが、やっぱり時間をかけてそれが自主的なものになるよう図っていくことが大切だと思っています。
とかく人は強制、強要されることを嫌いますし、しぶしぶ従ってもあまり意味がありませんからね。
そういう人もいるよねぇ!って感じになってくれるといいかなって思っています。
ちなみに、冒頭の面接ですが、会社によっては変わった格好の人の方が採用されやすかったりもしますよね。その余地が自由の生み出すものである以上、募集する者と応募する者の双方が自由であるべきだと思うんですよ。また、採用されやすくするために、望まぬリクルートスーツを着ることは応募する側の判断であって、同調圧力などではないような気がしているんですが、どうなんでしょうね。
愛知のリコール問題の続きは、明日、書いてみようかなって思ってます。