さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

132 「暴力をふるったら負け」理論

 みなさん、こんにちは。

 

 私の頭がおかしくなっちゃったのかもしれませんが、暴力って言葉、これってなんか都合よく使われ過ぎなんじゃないかと思うんです。言い方を変えれば、同じ行為であっても、理由や立場が変われば暴力と言われたり言われなかったりと。

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 例えば、アメリカの黒人差別問題で平和的なデモが行われる一方で、お店を襲撃したり、警官を襲ったり、街を占拠してみたり、これって暴力ですか?私は暴力だと思っています。もっとも、黒人を殺害した警官の行為も暴力だと思っていますよ。だから、これは暴力の応酬とも取れます。でも、ちょっと引っ掛かります。この警官も相当おかしいですが、これを理由に暴れている人たちだってかなりおかしいですよ。このことを利用して別の目的のために暴れているように思えます。まぁ、問題はそこではなくて、こうした行為は基本的に暴力だ!とんでもない連中だ!というふうに言われていないことが問題だと思っています。

 うがった見方をしたら、「あ、こういうことしてもいいんだ」とさえ思えてしまいます。念のために言っておきますが、逮捕された人はたくさんいます。決して、取り締まる側が見逃しているわけではありませんが、そのあたりは軽く報じられているだけで、むしろ彼らの行為を正当な怒りの発露みたいな点を強調しているように感じます。

 いやいや襲われた人や略奪されたお店はたまったものではないですよ。

これって、黒人差別反対って言っていれば、少々のことは暴力ではないってことですか?なんかおかしいんですよね。

 学校の先生が子供の頭や顔を叩くのは暴力ですか?体罰だ!暴力だ!とことさら大騒ぎする人がいますが、これってどうなんでしょうか?いや、もちろん先生が気分で子供を叩いたりするのはもってのほかですよ。でも、この風潮ってなんか変なんですよね。逆に子供が先生を叩いたりするのは暴力でしょうか?

 私が子供の頃はしょっちゅう叩かれましたが、体罰は良くないとか、これは暴力だ!なんて思いもしませんでしたが…。「今回はこれくらいで済んで助かったぜ!」とか「今回のは効いた!ほとぼりが冷めるまで静かにしていよう」って思っていましたからね。つまり、子供ながら罰は受けて当然のことって自覚があったんですよね。まぁ、先生方も慣れているのか、大ケガをするようなことはしませんでしたから。

 まぁ、叩かれていた人間が言うのもおかしいですが、そのあたりは何となく信頼関係があったような気がします。

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 子供つながりで、いじめにあっている子がキレてしまい大暴れして自分をいじめていた子にケガを負わせた場合、これは暴力でしょうか?正当防衛でしょうか?私は暴力の応酬だと思っていますけど、おかしいでしょうか?もちろん状況がそれぞれ異なるでしょうから、一概には言えませんが、よく言われる「暴力をふるったら負け」理論でいうと、これはいじめられていた子が一方的に暴力をふるったことになるのでしょうか?

 この「暴力をふるったら負け」とか「暴力をふるったほうが悪い」っていう考え方は少なくとも私の心には擦り付けられています。他の方々がどうかはよくわかりませんが、話をしているとそういうのをよく聞きます。もちろん暴力はダメです。これは絶対です。だから一面正しいと思いますが、これだと暴力をふるうに至った経緯は全部なしになっちゃいます。先ほどのいじめにあっていた子が自分をいじめる子にケガを負わせたなんて言う話を聞くと、「暴力はいかんよな」とか「暴力をふるっちゃあ誰も味方になってくれないよ」とかいう声をよく聞きますし、私も瞬間的にそう思ったものでした。でも、なんかモヤモヤしていたんですよね。「そこまで追い込まれていたんだろうか」とか「よっぽど腹が立ったのかな」なんていう考えがモヤモヤと…。でも、それを口にすると「でも暴力はだめだよ」と返ってきます。確かにそうです。でもなぁ、なんですよね。

 昔、喧嘩をしたら理由にかかわらず両成敗っていう今の基準で考えれば極めて乱暴な習慣(?)がありました。昔の法度ではそう定められていましたかね。これは争い自体を抑制する効果はあったように思うんですが、やはり足りません。いじめている子を咎めるには自分も成敗されるのを覚悟しなければなりませんからね。

 いつの時代も、巧妙に人を攻撃し貶め裏切り苦痛を与える輩はいます。

 彼らは自分たちが非難されないようにその行為を秘匿し、あるいは周囲の関わりたくない感情を巧みに利用してその攻撃対象を追い込んでいきます。やたらと大きな声で相手を挑発し、それに乗ってしまえばやれ暴力だどうだと騒ぎ立てます。

 昔、近所で喧嘩をしている人たちがいて、一方(A)は口が立ち散々相手を侮辱していました。その相手の人(B)はどうも口下手なようで、歯を食いしばって我慢していましたが、家族のことまで馬鹿にされ始めたところで限界を超えたようで、Aの胸ぐらを掴んで戦闘開始となるやいなや、さっきまでさんざん侮辱していたAは「暴力をふるうのか!誰か警察を呼んでくれ!」と騒いでいました。まぁ、私は「(暴力を)ふるわれてしまえ!」と思っていたんですが、結局4~5人でまぁまぁと間に入りました。警察を呼ぶ代わりにみんなでAを踏んだり蹴ったりしてやりましたけどね。みんな同じ気持ちだったんですね。後で聞いたらAがBに因縁を吹っかけていたそうです。しかし、これは決して褒められたことではないので、後で空手の会長からお説教されちゃいました。

 そもそも暴力って何でしょう。どういうのが暴力って定義されているんでしょうか?言葉で攻撃するのはOKで、それに腹を立てて相手を叩いたら、叩いた方が悪いんでしょうか。ネットで誹謗中傷され、それを苦に自殺される方もいらっしゃいますが、これって、単に匿名だから何を言っても良い、ということだけでしょうか。最近は世論的に言葉の暴力だのパワハラだの言われ、そうしたことにメスが入りそうな感じですが、依然として人々の心の中に「暴力をふるったら負け」という、それ自体は正しいけど付け込まれやすい考えがある以上、相手を誹謗中傷する人もなくならないような気がします。実際に叩いたり蹴ったりしているわけではありませんから、そんなつもりで言ったんじゃないです、って言い逃れることができますからね。

 なんか都合がいいんですよね。

 結局、法律で規制するっていうことになるようですが、大多数の人々が今後も泣き寝入りするハメになるのは目に見えています。

 過剰な暴力嫌悪について、どうも私はそれが腑に落ちないんですよね。

 暴力って、身体的であろうと精神的であろうと問題はそこではなく、他者の意思に対して(反して)行使されるところが問題で、本質的に制御できず(されず)理不尽に行使される力だと思うんです。こうして考えていくと、セクハラもパワハラも全部暴力です。

 社会を構成するのが人間である以上、それをゼロにすることは不可能でしょう。でも、身体的に加えられる力のみ暴力だという言い分が未だに幅を利かせているようでは、なかなかその方向に踏み出すことすらおぼつかないような気もしています。

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 ちなみに、この暴力っていうヤツの面倒なところとして、クーデターや革命といったものがあります。失敗すれば、とんでもない犯罪として扱われ、多くの国で極刑が言い渡されちゃいます。そりゃそうですよね。国が乗っ取られちゃうわけですから。しかし、成功すると、これらの行為は暴力などではなく、正当な戦いとか正義の戦いってことになってしまいます。要するに完遂して、その行為を咎める者がいなくなっちゃえば、暴力ではなくなっちゃうというカラクリです。ちょっと前にトルコでもありましたし、現在のアメリカでも囁かれています。

 これも、なんか都合がいいようで、とても気分が悪いんです。