さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

㉛蝉の姿に少しだけメランコリーな感じになってしまいました。

 みなさん、こんにちは。

 

 夜、鉄アレイウォーキングをしていると、道端に蝉が転がっているのをよく見かけます。ほとんどがお亡くなりになっているのですが、たまにまだ息があるのがいて、近付くと、ビビビッと鳴きながら飛んでいきます。「おっ、アブラゼミか。そんなところで寝ていたら踏まれちゃうよ」とのんきなことを考えながら見送っているのですが、あれって暑さで気絶していたのかもしれませんね。だって、仰向けになって動かなかったのですから。

 蝉もよりによって夏に成虫化することないのにと思いますが、彼らには彼らの都合があるのでしょう。自然環境は人間の都合でどうにかできるものではありませんので、只々お気の毒と思うしかありません。でも長い期間を幼虫として水中で過ごし、やっとのことで成虫になってみたら、やたらと暑い。残り1週間程度の命を燃やす前に燃やされちゃってるようで、なんだか切なくなりますね。

 海水温が上昇して、南方系の魚を見かけるようになりましたが、虫の生息域もそれぞれ変化していくのかもしれません。人に害をなす嫌な虫がいなくなるのは良いのですが、季節の変化を教えてくれる風雅な虫たちまでいなくなって、やけにド派手な南方系の虫が闊歩するようになると、侘び寂びも感じなくなりそうで悲しくなります。

 まぁ、この生き物は残すべきで、この生き物は滅ぼしてもよいなどと言うのは人間のエゴなので、不謹慎なことを言いました。すみませんでした。

 ただ、こういう時、池波正太郎の「剣客商売」の中で主人公の秋山小兵衛のセリフを思い出します。たしか「動物の生き方には無駄がない。必要な分だけ殺し食う。人間はなまじ知恵があるせいで余計なことをする。結果一番命を軽んじているのは人間なのだ」という趣旨だったと思います。全く同感です。

 そもそも地球温暖化というのが人間の行いによってもたらされたものだとするなら(私は半信半疑なのですが)、最後は人間自身の首を絞めることになるのではないでしょうか。

 蝉の姿に少しだけメランコリーな感じになってしまいました。ごめんなさい。

 

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 ガブリエルのお話で登場した私の叔父は猫を3匹飼っています。

 最年長の子は10歳を超えています(子??)。この猫たちはそろいもそろって知らない人間には懐きません。私は月に数回訪れますが、一度も触ったことがありません。叔父夫妻にはミャーミャー言って甘えるくせに、私には触らせるどころか、近付くことも許さず、一瞥をくれて悠然と去っていきます。

 別にいいですけどね。触りたくなんかないし。寂しくなんかないし。

 叔父夫妻は別に猫とべたべたしたりしません。餌を与え、汚物を処理し、ケガや病気の時には獣医さんに診てもらうだけです。犬の場合は散歩させないといけないのでしょうけど、放し飼いの猫ですから。でも、この距離感がとても良い感じに見えます。

 最近、その猫たちがすごく機嫌が良さそうな時に、私から5mくらいの距離を保ちつつ、座ってあくびをしたりするようになりました。この猫たちは本当に賢いと思います。街で生きていますから当然人間がワラワラいる中での生活になります。その中で唯一叔父夫妻にのみ心を許し、それ以外の人間には緩やかな警戒心を常に持ち続けています。賢いというか、したたかというか、距離感が絶妙なんですね。長年放し飼いにもかかわらず、事故にも遭わず、安定した生活ができているのは性向のおかげではないかと思います。

 まぁ、ひとつも可愛くありませんけどね。寂しくなんかないし。

 

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 ペットブームと言われてどれだけ経ったのかよくわかりませんが、飼い主とペットの関係って実に多種多様です。知り合いが蛇を飼っていると聞いて「なんでまた、よりによって蛇なのか」みたいなことを言ったら本気で怒られちゃいましたし、言うことを聞かない犬を平気で蹴っている近所のおじさんもいます。動物にせよなんにせよ飼っていながら粗末に扱うのは間違っていると思います。これはみなさん同意していただけると思います。では、ペットをとても大切に扱っている人についてはどうかと言えば、文句などありませんが、ちょっとムゥとなってしまいます。

 何が言いたいのか、さっぱりわからないですよね。申し訳ありません。

 これは何となく思っていることなのですが「ペットは良いものだ。大切に育てなければならない」と、ここまではそのとおりだと思います。でも「この子(ペットです)だけは大事」とか「この子を守ってやっている。この子の為だし、この子も喜んでいる」となってくると、肌触りの悪い感覚を覚えます。えっ、そうなの?ていう感じで。だって、その子を飼いたいから飼っているのでしょ。要するに人間の欲求であって、その子が望んだことではないでしょ?

 人間に飼われているペットが本当に幸福なのかどうかについては、今でも意見の分かれるところだと考えています。私もどうなのかわかりません。ケースバイケースなのかもしれないし、そもそもペットがどう思っているのかわからないのですから。

 保健所で処分されてしまう犬や猫を引き取って飼っている人がいます。そのことに文句はないのですが、そもそもなぜ犬や猫が保健所に集められるのでしょうか?その原因は人間にあるような気がするのですが。ですから、人間の身勝手によって(それだけが理由ではないのかもしれませんが)失われそうな命を救うことは良いことなのかもしれませんが、その原因に対して手を付けないのであれば結局この何となく気持ち悪い感じは消えないと思います。

 さらに、たまたま見かけた犬や猫を引き取って世話をすることは、それが可能であればよいことだと思いますが、その子は大事にするけれど、それ以外の命には何ら顧みることがないというのでは、単なる自己満足に過ぎないとも思います。

 例えば、きれいな服を着たトイプードルを抱っこしたおじさんとおばさんが反捕鯨のデモ行進に参加しています。虎の毛皮の帽子をかぶり、豹の毛皮のコートを着て、アメリカワニの皮のバッグを持っています。そのバッグには象牙のハンコが入っており、昨日食べたフカヒレがおいしかったと話しながら、腹をすかした野良犬には目もくれません。むしろ汚いから寄ってくるな!と毒づく始末です。

 なんか気持ち悪くありませんか?

 動物等をペットとして飼う、あるいは家族として共存する、または生き物が好き!というのであれば、その他の命についても考えてみてはいかがでしょうか。

 道に転がっている蝉の亡骸を眺めながら、この子が何年もかけてようやく成虫になったのに、この暑さで本来の宿願である繁殖活動もできなかったとしたら。柄にもなくそんなことを考えてしまい、支離滅裂なことを書いてしまいました。すみません。

 

 人間が生きていくために、実に多くの命を奪うことになります。これは必要なことだと思っています。採食主義と言っても、植物だって生き物です。これは逃れられない原罪だと聞いたことがあります。私の頭の中もまとまっていませんが、他の命を無駄に奪うようなことが無いように考えたほうが良いと思います。

 

 まぁ、釣りを趣味としている人間が言うことではないのかもしれませんね。一応食べない魚は逃がすようにしていますけど、どうなのでしょう。

 とりあえず、前回の釣りは完全ボウズでしたので、1匹も傷つけてさえいません。知人親子に私の心はひどく傷つけられましたけど。