さるきちのしっぽ

おサルのおつむでゆる~くお話ししますので、よろしければお付き合いください。

㉔昨日、軽い熱中症(だとおもいます)になってしまいました。

 みなさん、こんにちは。

 

 昨日、軽い熱中症(だとおもいます)になってしまいました。

 しかも夜。バカでしょ。

 いつもの鉄アレイウォーキング中になんかフラフラしてきたので、とりあえずマスクを外してみましたが効果なし。いつものように汗は滝のように流れます。あいかわらずのどは乾きません。まぁ、こんな日もあるさ、とフラフラしながらも、ウォーキング終了。シャワーを浴びて、しっかり水分も摂りましたが、結局ふらつきは寝るまで治りませんでした。

 いやぁ、まいりました。

 

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 数年前に1度、熱中症(だとおもいます)になったことがあります。

 その時はちょっと深刻で、痺れとふらつき、さらに視野狭窄まで起きちゃいました。

 真夏の昼過ぎにお客さんのお宅のサンルーム内に竿掛けセットなるものを取り付けていた時でした。慣れた作業だったので、少々暑くても何とかなると軽く考えていました。サンルームと言っても3方向の掃き出し窓は全開なので、風は入ってきました。

 いつものように1時間以内で終わらせちゃおう!と張り切って始めたのですが、スタートしてすぐに汗が噴き出してきました。暑いなぁ!と思いながら脚立に乗って寸法をとり、穴を開けてと作業を進めるうちに手の指先がピリピリしてきました。同時に脚立の乗り降りの度に頭がズーンと重くなるようになりました。

 ひょっとして暑さにやられたのかな?とその時思いましたが、あと少しで終わるところまで来ていたし、我慢すれば何とかなると思い作業を続行しました。ところが開けた穴にターンナットを差し込もうと思ってもうまく入りません。針孔のような小さい穴ではなく、9㎜の穴にですよ。おかしいなぁ、と思うと共に、なんか周りが暗いなぁ、と思い、脚立を降りたところから、そのお宅の奥さんに声をかけられるまでの記憶がありませんでした。「ちょっと、これ飲んで!」と言いながら、スポーツドリンクの入ったペットボトルを顔に当てられて気が付いたように覚えています。そのまま、お礼も言わずに500ml一気飲み。その後気が付いて、「あっ、すみません。飲んじゃいました」と妙なことを言いましたが、奥さんから「とにかくもう1本飲んで、中に入って休んで!あんた、ボーっとした顔でフラフラゆれてたよ!」ボーっとした顔という表現について後々いろいろと思うところもございましたが、その時は、あーそうだったんだ、程度に聞いていました。室内に入るにはあまりにも汗をかき過ぎていたので、家の裏の日陰で休ませていただきました。

 結局、500mlのスポーツドリンクを4本もいただいてしまいました。

 周りが暗いなぁと思った時のことを思い出すと、何となくですが9㎜の穴と自分の手しか見えていなかったような気がします。水分を摂って落ち着いてからは、そんなことはなくなりました。手足の指先の痺れと、頭が重くフラフラする感じはしばらく残りました。やっぱり足りなくなってから水を飲んでもダメだなぁ、と実感しました。

 2時間くらい裏庭にブルーシートを敷いて横になり、何とかなりそうなところまで回復したので取り付けまで終わらせて帰りました。

 奥さんから残りはまた別の日で構わないと言われましたが、翌日以降予定が詰まっていましたので終わらせました。後日、集金もかねてスポーツドリンクのお礼として、ジュース(1,000円程度)をお渡ししたところ、「あと2,3本飲ませてたら、もっといいもの(たぶんお酒)になっていたかもね」と言われてしまい、聊かリアクションに困りました。

 

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 その時のことを思い出しながら、思うことがあります。

 熱中症自体、確かに怖いのですが、もっと怖いのは我慢する、というより我慢できてします、ということです。

 こう見えても(見えないと思いますが)、私も高校球児として水を我慢しながら練習をしてきた人間です。ここまでなら大丈夫、ということを経験上わかっていると思っています。同じようなこととして、空手をしていると人に叩かれたり蹴られたりするわけですから、その痛みに対して経験値が上がります。こうした経験があると、痛みや苦痛を感じている自分と、それを冷静に観察しどのくらいで限界に差しかかるのか見極めている別の自分がいるような気になります。実際肝臓のあたりに打撃を受けますと、もう生きていくのも面倒くさいと思うほどの苦痛に見舞われます。痛いし、全身の力が抜けてしまいます。その時「うわぁ、いいのもらっちゃった、ああ、やっぱり効いちゃったか。動けるかな?やっぱりだめか」と自分のダメージをもう一人の自分が客観的に観察しています。だって、最初の自分は「痛っ、いって~!う~!」と大騒ぎになっていますから。

 こうした経験による感覚は、危機に陥っても冷静な自分を保つことができますので、未経験な方よりも対応の上でアドヴァンテージがあります。でも、熱中症にしても高血圧にしても低血糖にしてもジワジワと押し寄せる苦痛や体の異常に対して、こうした経験が裏目に出てしまうことがあると思います。理由は先ほどから申し上げているように我慢できてしまうからです。頻繁にめまいに襲われる人は、経験上しばらく休んでいれば良くなると知っています。低血糖が理由でそうなることを経験している人は、甘いものを摂取すれば回復することを知っています。襲ってくる苦痛が予想の範疇であれば、こうすれば治る、これくらいなら大丈夫、となるわけです。

 私が熱中症(だと思います)になった時も、苦痛はありますがそれが直ちに生命を脅かすものなどとは考えませんでした。これが一番まずいですよね。

 熱中症で毎年多くの方が犠牲になります。

 その多くがお年寄りだと聞いています。

 こう聞くと、年をとっているから感覚が鈍くなっているのでは?とかひょっとして気づいていないのでは?などと思う人がいるのかもしれません。私も自分が熱中症になるまではそんな風に思っていました。

 でもどうやらそれは違うようで、苦痛は感じているけど、まだ許容範囲である、という認識が不幸を飛び込んでいるように今では思っています。「暑いのう。じゃが、あそこまでやったら休憩するかのう。まぁ、そのくらいは大丈夫じゃろうて」ってな具合で。ところが、いきなり自分の限界を超えてしまうので、一気に意識を刈り取られてしまう。

 許容範囲の認識、自身の限界の認識について、もう一つ大切なことがあります。これらの認識の根拠は過去の経験になりますので、今よりも若い体が経験したことになりますよね。すなわち、決して今の体、体力で経験し耐えることができたわけではないということです。もっと言えば、今の体力を100とすれば、120や150の体力がある時に経験したことを根拠に、これくらいなら大丈夫と判断しているかもしれない、ということです。まずいですよね、やっぱり。

 年を取ると必ず体が衰えるとは限りません。しかし、一般的に考えれば中高年世代の方が10年前の自分より今の自分のほうが体力があるという状態は、非常な鍛錬が必要であって、現実的ではないでしょう。それに10年前の環境(夏の暑さ)は今のそれと同じとは限りません。むしろ環境は厳しくなっているような気がします。そこへきて体力は加齢とともに衰えてきているのだから、経験による認識などあてになりませんよね。

 昨日凌げたことを今日も凌げるとは限らないとの予断を持って臨むことが大切なのかもしれません。

 

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 暑い中、現場で働く職人さんたちは大変です。

 特に若い職人さんは、ちょっと甘い顔をするとすぐに「暑い。ダルい。ウザい。キツイ。水飲みたい。タバコ吸いたい。帰りたい」と言いたい放題です。しかし、上で述べたようなことを考えると、事故が起きるよりは率直な反応をしてくれているほうが良いのかな?とも思ってしまいます。変に我慢されて、大事になるよりは…。でも、それを放置しているとこちらの我慢が限界に達してしまい、「少しは我慢しやがれ!」と言ってしまいそうになります。

 我慢の取り扱いが斯くも難しい時代になったようです。